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「ことばのサロン」開催の趣旨
「出席者の皆さんにおしゃべりを楽しんでもらおう」。サロン開催の趣旨は、一言で言えば、そういうことです。
毎年開催している「言語文化セミナー」では、講師の話を聞いて終わりというスタイルが多く、 参加者からの意見を聞く時間が少ないのが現状です。質問を受ける時間がもう少しあればなおよいのにと思うこともしばしばです。 そこで、セミナーとは別の機会を作り、参加者の皆さんに、 日本語について思う存分おしゃべりをしていただく場を設けたいと研究所は考えました。
それが「ことばのサロン」です。

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●●第6回「ことばのサロン」2014年7月26日(土)午前10時30分〜12時30分

 猛暑日となった7月26日土曜日に、2時間の予定で第6回「ことばのサロン」を開催しました。
 今回のテーマは、「誤用か変化か? ことわざ・慣用句」です。
 使われる場面や状況、また、語形そのものが、従来とは違ってきていることわざ・慣用句について取り上げました。
 初めに、今年度、新しく言語文化研究所の所長となった玉井のあいさつがありました。




 そのあと、LC倶楽部の皆さんにご協力いただいたアンケート調査の結果を、研究所から簡単に報告しました。
 それをもとに、佐竹の進行のもと、26名の参加者たちで、ことわざと慣用句について話し合いました。






 まず、「鳥肌が立つ」が取り上げられました。本来は、恐ろしさを感じた時に使われますが、近ごろは、感動した場面でも使われることが多い慣用句です。
 これに関しては、「では、感動した時に使える慣用句はある? どう言えばいい?」という疑問が出されました。全員であれこれと考えてみましたが、結局、ぴったりとする表現は見つかりませんでした。






 そんな中、佐竹ゼミの卒業生から、「ことわざや慣用句を、普段の生活で使うのか?」と問いかけがありました。「アンケートで取り上げられていたことわざ・慣用句は、どれも普段の生活では使わない。これらは、勉強して覚えるものだ」ということです。どうやら、世代によるとらえ方の違いがありそうです。
 しかし、若い世代だから使わないというわけではなく、日常的に、ことわざを使う場面が少なくなってきているのではないかという意見もあり、なぜ、使わなくなってきたのか、その理由についても考えました。






 ことわざなどを使わず、ストレートな物言いが好まれるからとか、分かりやすいことばを使いたがるからだとか、あるいは、教育のせいだ、本を読まずマンガを読むことによる文化の崩れだという主張もありました。






参加してくださった皆さんが、自由に話し合い、研究所のメンバーにとっても、ことわざ・慣用句を使う(使わない)背景を考えさせられる時間が持てました。
皆さん、ありがとうございました。




●●第5回「ことばのサロン」2013年7月13日(土)午後1時30分〜3時30分

蒸し暑い日が続く三連休の初日、7月13日土曜日に、2時間の予定で第5回「ことばのサロン」を開催しました。
 今回のテーマは、「誤解・曲解・勘ちがい」です。
 まず、所長の佐竹から、音が似ている語や、ポーズ・読点の位置によって意味が変わる文など、日本語の性質によって起こる誤解について解説がありました。その後、参加者一人ずつ、自己紹介を兼ねて「身のまわりで起こった、誤解・曲解・勘ちがい」について話してもらいました。


 関西では、「この本、なおしといて」のように、「なおす」を片付ける意味で使いますが、他の地方では、もちろん通じません。「えっと、どこを修理するんですか?」と聞き返されたという体験談が、まず出ました。
 「何度聞いても、JRのアナウンスが分かりにくくて、快速と普通、どちらに乗っていれば、先に目的地につけるのかいつも迷ってしまう。アナウンスに合わせて、降りてみたり乗ってみたり」と、日常生活で困っている一コマを紹介した人もいました。



 広島出身の佐竹ゼミの学生が紹介したのは、「実家の近所にはたくさんある名字なのに、関西では珍しい名字なのか、いつも間違えられたり、聞き返されたりする」と自分の名前についての勘ちがい話です。
 佐竹ゼミのOGは、勤務先での客とのやりとりを紹介し、「バーゲン中は、値引き後の値段を表示していても、そこからさらに値引きされるのかと聞いてくる客が多い」と、大阪らしい(?)一幕を紹介しつつ、頑張って働いていることを知らせてくれました。

 企業経営者からは、「取引先との待ち合わせ場所や時間を、うまく設定できない新入社員がいる」という意見が、若干の嘆きと共に出ました。
 それに対しては、テレビ局アナウンサーが、「ケータイが普及してからは、待ち合わせの約束があいまいになった。今は、目的地の近辺に着いたら、そこで再度メールで連絡し合うとういうやり方が普通になっているからでは?」という解釈とフォローです。
 そのほかにも、高校の国語教師、日本語教師、話しことばの専門家、元小学校教師、俳人など、その立場ならではの、誤解・曲解・勘ちがい話が出ました。

   その後、佐竹から、「誤解や曲解・勘ちがいは、“ことば”のせいだろうか」という問いかけがありました。
 誤解には、ことばそのものというよりも、受け手の立場や期待、あるいは思い込みなどを含むその場の状況が大きくかかわっているのではないか。正しい日本語を使えば、誤解がなくなるかと言えばそうではないだろう。誤解なく、相手に物事を伝えるために、「正しい日本語」は手段であって、決して目的ではないはず。正しい日本語を使っても、誤解・曲解・勘ちがいが生まれて、伝わらなければ意味がない。それよりも、多少、正しくなくとも、「伝わる日本語」の方が価値があるのではないだろうか。という提案で締めくくられました。



 参加してくださった19名の皆さんは、今回のテーマに合わせて、新聞の切り抜きを用意したり、自分の体験談やニュースなどをノートに記したりと、ネタの準備がばっちりでした。皆さんの熱意をとてもありがたく感じました。
 今回も、今までと同様、時間を少しオーバーしても、まだ話し足りないほど盛り上がったサロンとなりました。






●●第4回「ことばのサロン」2012年7月7日(土)午後1時30分〜3時30分

 大学の所在地である兵庫県西宮市には、当日の明け方まで「大雨・洪水警報」が出されていましたが、サロンが始まる前には雨も上がり、太陽が顔をのぞかせる中、2時間の予定で第4回「ことばのサロン」を開催しました。
 今回のテーマは、「あいさつと人間関係」です。
 日常の生活をあらためて考えてみると、朝起きてから、夜寝るまで、私たちはさまざまなあいさつをしながら一日を送っていることに気がつきます。 たとえば、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」、「いただきます」「ごちそうさま」、「ありがとう」「すみません」、「おやすみ」など、時間帯や場面で使い分けています。
 普段、それほど意識せずに使っているあいさつについて、多方面から考えてみることにしました。

 まず、所長の佐竹から、あいさつに関するいくつかの研究について解説があり、その後、参加者一人ずつ、自己紹介を兼ねて「なぜ、あいさつをするのか」を話してもらいました。
 「自分が悪い人間ではないということを相手に知ってもらうため」や、「あなたを敵とは思っていませんよ、味方だよというしるし」という意見や、社会人2年目の本学卒業生からは、「まだまだ分からないことが多い新人としては、会社の先輩に仕事を教えてもらうなど、頼みごとがしやすい」という意見が出ました。



 企業経営者からは、「最近は、会社での人間関係が薄いように感じるが、それは、目を見てあいさつをしていないからかも」という意見が出ました。テレビ局アナウンサーからは、「会社に入ったころは、先輩があいさつを返してくれなかった。自分が、今、その立場になると、同じようにあいさつを返していないことに気づく」、「あいさつをして、3回無視されたら、その人は敵だと思うようにしている」と、あいさつのありようが人間関係に少なからぬ影響を及ぼしていることがうかがえる話が披露されました。



 反対に、「無視されてもあいさつを続ける」というのは、90歳の本学元教授で、「阪神淡路大震災の直後は、あいさつをし合っていたのに、最近は、またしなくなった。でも、自分は無視されてもあいさつを続ける」と、あいさつを大切にしている気持ちをうかがい知ることができました。





   「サービスに対するありがとう」をどう考えるか、と話は広がり、タクシーやバスを利用した時、また、飲食を終えて店を出る時などに「ありがとう」と言うかどうか、という話題に移りました。
「若い時は言わなかったが、年齢を経た今は言うようになった」とか、「東京では言わない」など、年齢差や地域差もあるようです。同じ関西でも、阪神間ではバスを降りる時に「ありがとう」と言う人が多いのですが、大阪南部では言わないという話も出ました。



 「コンビニは、マニュアル通りのあいさつをしているだけだろうから、あいさつをされても返さない」という意見には、「でも、個人商店ならあいさつをするだろう」と、店の形態による違いがあいさつをするかしないかの意識にかかわるという指摘も出ました。「店のマニュアルにはないが、あいさつをする。客から返答があるとうれしい。だから、自分が客の立場でもあいさつしようと思う」と言うのは、スーパーでアルバイトをしている佐竹ゼミの3年生です。




 さて、「おはよう」や「ありがとう」といった「あいさつ」は、儀礼的・社交的なことばです。だから、心をこめて、また、その場の状況に合わせた「あいさつ」をしようとすれば、もっとたくさんのことばを並べなければ、本当のあいさつにはならないでしょう。しかし、私たちは、あまり気にすることなく、決まり文句としての「あいさつ」を使っています。



   そう考えると、つまり、「あいさつ」とは、「究極のマニュアルことば」だと言えます。たくさんのことばを使う代わりに、一言で済ませられる便利なことばです。
 最近は、どの時間帯でも「おはよう」を使う人が増えているというもの、一つには便利だからという理由が考えられます。その日、初めて会うから「おはよう」を使うのだという考え方もあるようで、そうなると、ことばの意味より、どのようなシチュエーションであいさつをするのかという方が重要になってきているようにも思えます。「こんばんは」が使われなくなってしまうのも、そう遠い日のことではないかもしれませんね。


   今回もLC倶楽部を中心に、15名の皆さんと大いに日本語を楽しみました。
 参加者の皆さんから、たくさんの体験談、ご意見をいただくことができました。ありがとうございました。帰り際、参加者側は、「ありがとうございました」「楽しかったです」のあいさつで会場を後にされ、研究所側からは、「ありがとうございました」「お気をつけて」のあいさつでお見送りしました。





●●第3回「ことばのサロン」2011年7月9日(土)午後1時30分〜3時30分

 気温が30度を超え、真夏日となった7月9日、午後1時30分から2時間の予定で、第3回「ことばのサロン」を開催しました。
今回のテーマは、「昔の決まり文句」です。
 昔から言われている「決まり文句」には、「夜、口笛を吹いてはいけない。ヘビが来るから/オニが来るから」とか、「霊柩車を見かけたら、親指を隠しなさい」、「夜に爪を切ってはいけない」なぜなら「親の死に目にあえないから」のようなものがあります。また、昔は「火遊びをする子は寝小便をする」ということわざで火遊びを戒めたりしました。



 このような「決まり文句」は、今の女子大生たちも、聞いたことがある、知っていると言います。つまり、ある程度の伝承性があることばだと言えるものでしょう。
 しかし、その使われ方、頻度、使う時の意識などは、昔とまったく同じとは言えないように思います。「決まり文句」には、伝承性があるのでしょうか。それとも、ないのでしょうか?




 まず、所長の佐竹から「ことばの世代間の断絶は起こりかけているのだろうか。もし、起こっているとするなら、どんなところに現われているのだろうか」という問いかけがありました。



 参加者の皆さんからはいろいろな意見が出ました。
 マンション住まいだという方からは、「決まり文句」に使われている「モノ」がなくなると、その「決まり文句」の意味が分からないのではないか、という話がありました。たとえば、和室がないと、畳や敷居に日常的に触れることがありません。そうすると、それに関することばを使う機会がないというようにです。



   また、核家族か、祖父母と同居かの別によっても違うのではないか、との意見も出ました。同じことを注意するのにも、祖父母からだと「決まり文句」が使われ、親からだと直接的な物言いになるとのことです。これに対しては、「子に対して、親は余裕がないが、祖父母になると余裕があるからでは」という意見もありました。
 企業の経営に携わっている方からは、「経営がうまくいっている会社は、祖父から孫へ家訓がうまく伝えられている。だが、親から子の場合は、反発してしまってうまくいかない」という興味深いお話も出ました。





 「決まり文句」は、注意や指示、規制を直接的にするのではなく、間接的に言う婉曲表現です。だからこそ、そのことばを聞いて、“なるほど”と納得できるもの、理屈が分かるものが、次の世代へと伝承されていくと考えられます。そうでないものは、消えていってしまうのかもしれません。
 しかし、こういったことばを楽しむこと、面白がること、ことばで遊ぶこと、そして、知っているということは、私たちの生活における “心の豊かさ”でもあるでしょう。その豊かさが、世代間の接着剤がわりとなり、コミュニケーションツールとなれば楽しいに違いないと思えた2時間でした。



 LC倶楽部の皆さんからいただいたアンケート結果をもとに、今回も、24名の参加者の皆さんと大いに日本語を楽しみました。
 出席者の皆さんから、たくさんの体験談、ご意見をいただくことができました。皆さん、ありがとうございました。





●●第2回「ことばのサロン」2010年7月15日(木)午後1時30分〜3時30分

梅雨が明けきらぬ7月15日、心配された雨に降られることもなく、午後1時30分から2時間の予定で、第2回「ことばのサロン」を開催しました。
今回のテーマは、「ケータイメールの日本語表現」です。
 初めに、所長の佐竹から、「日本人は作文に苦手意識をもっている人が多いはずなのに、ケータイメールを使っている人は非常に多い。ケータイメールの登場によって、日本人の「書く」生活は一変した」という日本人の書く生活とケータイメールとを絡めた話や、また、「ケータイメールというと若い世代が話題にのぼりやすいが、今や年代を問わずケータイメールは使われている。世代によって、その使われ方や使う意識は違うはずだ」といった、世代間の違いについて、話題の提供がありました。



 17名の出席者は、20代の女子大生から88歳の元大学教師まで、文字通り老若男女で、
まずは、出席者の皆さんお一人ずつ、自己紹介も兼ねて「ケータイとのかかわり」についてお話しいただきました。





 ケータイがあって当たり前という大学生と違い、LC倶楽部の出席者からは、どちらかと言えばケータイメールは苦手だという意見が出ました。
 「相手との気持ちのすれ違いが起こるから苦手。子どもとのやり取り以外には使わない」というものや、「時間をかけて、文面を考えに考えて打つが、結局、なんじゃこりゃといった納得がいかない文章になってしまう」という意見です。



 反対に、「誘いや依頼を断るときは、ケータイメールだと気楽にできる。とても便利だ」、
「待ち合わせなどにとても便利。ケータイを持っていなかった時代は一体どうしていたんだろうと不思議に思う」というケータイの便利さを良しとする意見もありました。





 そして、ケータイメールに付きものの絵文字や顔文字についても話題が広がり、こちらについても賛否両論でした。
 「絵文字を駆使する」という意見もあれば、反対に絵文字が好きではない、使わないという意見もあり、
「絵文字を使わないから、友人からは、あなたのメールは冷たいと言われる。だから、いかに絵文字を使わずに、冷たく感じない文面にするかを工夫している」という話も出ました。
 一方、大学生たちは、「とにかく何か絵文字を入れておく」、「見た目のかわいさ重視で使っている」という意見でした。
 「使っている」という事実、つまり、文面がそっけなくならないように「気を使っている」ことを示す指標の一つが絵文字の使用ということなのかもしれません。

 ケータイメールは、どのような文章を作って送るかという発信者の立場と、相手から受けたメールをどのように解釈するかという受信者としての立場があります。
 二つの立場で、日本語をどのように使うか、とらえるか、出席者の皆さんから、たくさんの体験談、ご意見をいただくことができました。ありがとうございました。
 帰り際には、「楽しかったです」とうれしい一言を残してくださる方もいらっしゃり、サロンらしいひとときを過ごせていただけたことを、私どももうれしく思いました。





●●第1回「ことばのサロン」2009年10月30日(金)1時30分〜3時30分
気持ちのよい秋晴れの中、午後1時30分より、第1回「ことばのサロン」を開催しました。
記念すべき第1回は、所長の佐竹が少しお話(テーマ:「人の呼び方」)をして、そのあと、おしゃべりタイムと相成りました。


36名の申し込みがあり、当日の参加者は30名。日本語についてのおしゃべりを楽しもうという参加者の皆さん。 まずは、佐竹からテーマについての話を…。





高校生の参加者もあり、活発に発言してくれました。将来はぜひムコジョへ。



「家族をどのように呼ぶか?」。自分の連れ合いについて、兄弟について、親戚について。さすが、経験豊富な(?)皆さん。 ご自身の体験をまじえて話がはずみます。




自分の子どもからどう呼ばれているか、さらに孫からはどう呼ばれているか。





夫婦の間で…。結婚当初は、お互い名前で呼び合っていたけれど、子どもが生まれてからは、「お母さん」「お父さん」に変化して…。





子どもが結婚して、また二人の生活に戻った現在は、「もう一度名前で呼び合うように変えようと話し合った」という人も。その結果は…?


あっという間に予定の2時間が過ぎてしまいました。
存分におしゃべりを楽しんでもらえたようでしたが、中には、まだまだ話し足りないという人も。
さて、第2回目はどのような展開になるでしょうか。
次回のご案内を楽しみにお待ちください。
 ことばのサロン