

辰巳 都志(日本語日本文学科 教授)
関西学院大学大学院博士課程修了。文学と場所をキーワードに、文学の立ち上がる空間にこだわって近代文学を解読する。1974年から谷崎文学研究を始め、77年から、まだ明らかにされていなかった関西における谷崎の動向を追求し始めた。転居魔・谷崎の旧宅をくまなく調べ、作品の舞台を踏査して、1985年『ここですやろ谷崎はん〜谷崎潤一郎・関西の足跡〜』を著した。
その後『細雪』の舞台である神戸市東灘区の谷崎旧邸の保存運動を地元住民とともに進め、1990年「倚松庵(いしょうあん)」と名づけて移築保存に成功。谷崎潤一郎が自らデザインした唯一の家が1995年阪神大震災で全壊したことを憂い、「鎖瀾閣(さらんかく)」と名づけて地元の住民とともに復元運動を始め、12年目の2007年、竣工予定。
「NPO法人谷崎文学友の会」理事長、「芦屋市谷崎潤一郎記念館」副館長も務める。
主な著書に前掲書のほか、『谷崎潤一郎の短歌――心情の素直な表明――』(『文人短歌』朝文社 所収)、『谷崎潤一郎・関西の衝撃』(和泉書院)、『谷崎潤一郎「細雪」そして芦屋(芦屋市谷崎潤一郎記念館図録)』、『谷崎潤一郎「細雪」の世界』(CD-ROM)などがある。
その他、旅のエッセイ『ほろ酔い旅』(2003年・新風舎)や佐々木湘の筆名で『ママに はKISSがよく似合う』(96年・新潮社)など、エッセイやシナリオ&小説を書く。
近・現代日本文学、高校の教科でいえば現代国語にあたり、明治以降から現代までが対象です。専門は谷崎潤一郎、「 谷崎が見た関西・谷崎が愛した関西」がテーマです。
谷崎潤一郎は関東大震災の後、関西に移り住み、特に阪神間を愛して『細雪』を始めこの地を舞台にした多くの作品を書きました。しかし、私が谷崎文学の研究を始めたころは、関西時代の谷崎についてほとんど分かっていませんでした。それなら自分が取り組もうと、ほとんど手探りの状態から始め、関西での谷崎の住まいや作品の舞台を調べ歩きました。
私は一時、関西を離れて生活していたことがあります。その時に初めて、これまでなじんだ関西という土地の魅力に気づき、「谷崎が見て、愛した関西」、谷崎の感性が理解できました。谷崎と関西を研究するのは、私しかいないと確信したのです。もし私が東京にいたら、このテーマは出てこなかったかもしれませんね。
谷崎は創作の時、イメージに合う家を求めて何度も引越しをしています。文学の生まれた場として、『細雪』の舞台となった倚松庵(いしょうあん)や、谷崎自身がデザインした家、鎖瀾閣(さらんかく)などの復元・保存活動にも携わっています。
私はいわゆる文学少女で、高校生のころには夏目漱石、森鴎外、太宰治など以降の文学はかなり読んできました。だけど、谷崎潤一郎は食わず嫌い。というのも、小学校4年生のとき『鍵』を手に取りましたが、何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。それがトラウマとなり、谷崎をむしろ避けていました。ところが大学院生の時、必要に迫られて『痴人の愛』を読んだのです。これが面白かった。それからですね。
谷崎文学の魅力は、まず文章が分かりやすいこと。それから都会的で、先見性があること。例えば『痴人の愛』のナオミは男性を翻弄しますが、現代であればともかく、明治という時代から考えれば半世紀先を見たテーマを描いた作家です。
3年生は、新聞社の主催する読書サロンに参加しています。年何回か作家が新聞に発表した書き下ろし作品を読後、その作家を囲んで話を聞くサロンです。事前に基礎知識を持ち、作品を読み、話を聞く。今、活動中の作家に接することのできる貴重な経験です。
4年生で集大成として卒論を制作し、発表します。数年前から現代作家を研究対象にしてよいことにしたところ、宮部みゆき、恩田陸、嶽本野ばら、浅田次郎など、去年のゼミ生の70%が現代作家を取り上げました。卒論では、私は内容より「論理的に正しい文章を書けること」を重視しています。伝えたいことをきちんと表現することです。
大学院生は、地域社会と文学遺産について研究しています。といっても、机上の学問としてではありません。自分の文学や作家についての知識をどのように使えば仕事になるのか、「学問と実業の接点を探る」活動です。例えば有馬を取り上げた学生は、万葉時代の舒明天皇を選び、当時の衣装をまとった男女ペアのコンテストを企画しました。それを、観光協会や電鉄会社、旅行会社、地域の自治体などに提案し、実現を目指しています。
学外の活動では、阪神間の文化的なイベントに、進行補助や参加者の誘導整理などボランティアスタッフとして学生たちが参加することがあります。スムーズな運営には、スタッフのチームワークとフットワークが肝心、時と場所に応じた姿勢と対応が求められます。これらの経験は、社会に出てからきっと役に立つはずです。ゼミでは「即戦力となるプチ社会人を育てる」ことを目標としていますから。
ゼミ生たちの連携と団結力は強いですよ。昨年のゼミ生がデザインしたハッピとのれん(=写真=)は私の宝物です。
関西では、武庫川の日本語日本文学科ほど充実した学びの環境はないと思いますよ。まず、充実した教師陣ですね。各時代の文学の専門家だけでなく、言語の専門教員も揃っていますし、教員間の連携もいい。どの分野を学びたい学生にも応えることができます。
それから、大学全体としての細やかなサポートがあること。クラス制度や初期演習(高校でのロングホームルームのようなもの)などを通して、私たち教員も学生一人ひとりの様子がわかるので、良さを伸ばす支援ができます。丹嶺学苑でのクラス合宿で「新しい友だちが増えました」と言う学生もいますよ。友だち作りのお手伝いができる仕組みができています。
「作家になりたい人、この指とまれ!」
昨年から「文芸創作」という科目を設けました。これは、作家を養成する科目。文学を学ぶ学生の3分の1が作家になりたいと考えているようです。そんな要望に応えて開講しました。もちろん才能という面もあるのですが、ある程度学ぶこともできます。作家への早道は、[1]とにかく多くの本を読むこと(多読)[2]本を自分の創作に役立つように読むこと(精読)[3]自分で書いてみること(実作)。このプロセスをシステム化し、学生は評価を受けながら創作の力を磨いていきます。文芸創作I、IIの2年間で、公募の1次審査は突破できる実力を養ってほしいと考えています。そこからは自分の力次第ですね。この「文芸創作」から3人の学生が、作家を目指して巣立っていますよ。
学生たちには、「きちんとした日本語、恥ずかしくない日本語を使いなさい」と言っています。書いて話せる日本語の使い手になりなさい、という意味です。言葉というのは会話の中で磨かれるもの。友だちや周囲の人たちとチェックしあえる環境に自分自身を置くことで、言語に対するセンスを高めてほしい。長い目で見ると、論理的な日本語が使えることこそ、本当の能力だと考えています。
何にでも興味や疑問を持って、やってみてほしいですね。それがクラブ活動であっても、友だちの悩みを一緒に考えることでもいい。「私、関係ないから」「別に」はダメ。目の前に流れてくるもの、全てに関心を持ってほしい。よく「若いころの苦労は買ってでもしろ」と言いますが、そう思います。しんどいことがあっても、若ければ越えられる、今は失敗してもいい。失敗することがプラスになるのです。その経験が多ければ多いほど、目の前に流れてくるものに、乗ったらいいのかそうでないのかの見極めがつくようになるのですから。

ゼミのピンバッチ。
功績があれば、
卒業時にはゴールドに...

ゼミのバッチ。
3年生と4年生で色違い。