お知らせ

第14話 「カーネギー自伝」(2011年7月)

 遠い昔の話題であったように思う。まだ1年にもならないのに東日本大震災はそれまでの記憶を消し去ろうとする。あのタイガー・マスクのことだ。ランドセルを贈る彼は善意という言葉をわれわれの心に語りかけてくれた。その輪は確実に大きくなっていた。寄付という行動をも教えてくれた。そして、大震災。善意と寄付は日本に満ちた。孫正義さんが100億円の寄金を明らかにするなど、企業の人々の行為も知った。だが、それは数少ない。「富の配分」という思想は今の日本にはないからだ。

 鉄鋼王といわれるアンドリュー・カーネギー。1883年から1929年にかけて彼の寄付で生まれた図書館は2,500にも及ぶ。多くの人が集い、本を読む。図書館が小さな町のランドマークになる。あの時代に、そんな空間をつくった男の信念は「富は神より委託されたもの」という言葉だった。図書館がなぜ大切なのか。スコットランドの貧しい職人の子に生まれ、13歳のときに一家でアメリカに渡った少年は酷使され、本を読む時間も買う金もなかった。電報配達の仕事は厳しかった。「天からの恵みが私の上に下されて、文学の宝庫が私のために開かれたのであった」と自伝にある。ジェームス・アンダソンという大佐が400巻の自分の図書を働く少年たちのために解放すると発表したのだ。

 「このようにして、私の牢獄の壁に窓が開かれ、知識の光が流れこんで来たのであった」土曜日になるとまた新しい本に変えることができた。バンクロフトの「合衆国の歴史」を学び、チャールス・ラムの「シェークスピア物語」を読んだ。アンダソン大佐の図書館はかけがえのないものであった。カーネギーが文学を愛好するようになったのは、この図書館のおかげで、本を手にせずに生きることができない、人生になったとまで述懐している。

 このときの体験が後に図書館を創設することに繋がってゆく。父も故郷で最初の巡回図書館をつくった5人の職人の1人だった。父と子。2つの世代が図書館をつくることになる不思議にカーネギーは感動する。

 自伝は触れる。「自分の若いころの経験に照らして、私は、能力があり、それを伸ばそうとする野心をもった少年少女のためにお金でできるもっとも良いことは1つのコミュニテイに公共図書館を創設し、公共のものとして盛り立ててゆくことと確信するようになった」

 1889年、カーネギー鉄鋼を設立、「鉄鋼王」と称され、アメリカン・ドリームのシンボルになるがUSスチールができると会社を一括して売却し引退する。富を公共のために役立てる事業に専心する。図書館、教育機関、文化施設や国際平和運動などへの援助をする。自伝の解説で亀井俊介さんが書いている。「私たちのよく知る音楽の殿堂、ニューヨーク市のカーネギー・ホール(1891年開設)などは、小さなものというべきか、言及もされていない」。総額はあの時代の3億5000万ドルである。

 カーネギー図書館のうち1,689がアメリカにあり、660がイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、セルビア、西インド諸島などに及ぶ。見事に「富」を配分した立志伝中の人である。図書館をはじめ今なお、多くの人がその富を享受しているのだ。

 鉄鋼王というより「図書館王」と呼ぶ方がふさわしいのかもわからない。

 『カーネギー自伝』は中央公論新社刊の文庫。訳者は坂西志保。中央図書館地階には角川文庫版がある。

<左>『カーネギー自伝』(中央公論新社)
<右>『鉄鋼王カーネギー自伝』(角川文庫)【地階文庫(日本), 080||KA||E150,0142343】