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第38話 阿修羅のごとく(2013年7月)

 まさにステレオタイプといえる。映像に現れる図書館の司書像。髪を後ろで小さく束ねている。変哲のないメガネをかけている。白いブラウスは細目のヘチマ衿である。恋人はいない。かすかに「影」がある。四姉妹の三女、滝子は、そのタイプから外れない。深津絵里さんが演じている。NHKの土曜ドラマのときは、いしだあゆみさんだった。このときのイメージも控えめで、明るくない。ヘアスタイルは同じである。司書の役になぜ江角マキコさんや米倉涼子さんのようなパワフルな人を起用しないのか。綾瀬はるかさんでも長澤まさみさんでもいい。笑顔の人を登場させないのか。そうつぶやきながらDVDを見始めた。傍らには向田邦子さんの『阿修羅のごとく』(新潮文庫)を置いた。

 その原作の最初の場面。「冬の朝。コートの衿を立てた竹沢滝子(30)が古ぼけた建物に入って行く。ひっつめた髪、化粧気のない顔にメガネ」

 やはりここから始まっている。二つの映像は、この脚本をもとにしているから当然なのだ、と言い聞かせて画面に、それも滝子に集中する。

 物語は滝子が3人にかける電話から始まる。父、恒太郎(68)(仲代達也さん)が女性の面倒をみている。浮気をしている。集まって相談したいという。興信所を使って証拠も手に入れている。信じられずに笑っていた姉妹の顔が固まる。滝子は実際にその女性と男の子とも会っている。ここからそれぞれの「阿修羅」が暴れ始める。

 長女、綱子(45)は夫に先立たれたが、いまは料亭の妻子ある男と付き合っている。華道の師匠。二女、巻子(41)は専業主婦。二児の母。サラリーマンの夫は部下と浮気をしている。四女、咲子(25)はボクサーと同棲中。留守中に別の女を引き入れるような男だ。それぞれを大竹しのぶさん、黒木瞳さん、深田恭子さんが演じている。潔癖な性分の滝子だけが、男に縁がない。それでも父の浮気調査を頼んだ興信所の青年、勝又(中村獅童さん)が現れる。

 四姉妹の日常は微かに変化する。揺らぎながらも、崩れそうになりながらも、しっかりと立っている。途中から、主人公は図書館司書の滝子ではないかと思えてくる。滝子が壊れかけてゆく姉妹を支えていく。

 図書館に父がやってくる場面がある。区立図書館。昭和54年の設定だから、パソコンは見当たらない。小さなカウンター、いつでも滝子ひとりしかいない。見上げると父。姉妹が浮気の事実を知っていることは母、しげ(65)(八千草薫さん)にも恒太郎にも話していない。四人の「秘密」だ。父が語る。「元気そうじゃないか。ちょっとのぞいてみただけだ。静かでいいところだなあ」といい「それじゃ」と去ろうとする。滝子はためらいを振り切って話す。「お父さんたちを見かけたの」。父は「そうかい」と言い残すだけで姿を消した。なにも起こらない。

 滝子にも恋の気配が生まれる。ベンチで一人の昼食。勝又がやってくる。彼のお昼は、好物のジャムパンだ。半分に割って見つめながら「ジャムが少なくて情けないところが好きなのです」と話す。そして、顔を緊張のあまり引きつらせて「おれ、好きなんです」。逃げる滝子。ぎこちないやりとりの中に、確かに芽生えている。2人とも不器用だ。言葉に出せない。彼はまた図書館にくる。調べものをしている。滝子はカートを押し、あたりを注意しながら覗き込むが、そこまでである。雷鳴が響く。傘を手に追いかける勝又。「助かったわ」という滝子に「いつでも滝子さんのことは助けます」と返す。そして「お父さんはいい人です」と話す。その言葉に滝子は反発するが、彼は動じない。「心配してはいけないのですか。咲子さんのお父さんですから」。このふたりの会話だけが、4姉妹が男と交わすやりとりとは違っている。疑念がない。

 滝子はアパートが火事になって焼け出された勝又を実家に住まわせる。彼と父とは妙に気が合う。母の留守を見計らって勝又は告白してしまう。「浮気を調べたのは僕です。俺、この人大事にします。一生浮気しないですから」。大笑いする恒太郎。結婚が決まった。

 姉妹の間でも、妬みや嫉みがある。滝子は妹の咲子に、ずっとその感情を抱いていた。ボクサーはチャンピオンになったが、ダメージを受けて意識不明になる。借金取りが現れる。敢然と戦う滝子。「咲子がんばれよ」と肩を優しく抱く。老いた母にも「阿修羅」がいたのだろうか。夫の浮気相手のアパート近くで倒れ帰らぬ人となる。

 和服で卓袱台を拭く滝子。その後ろ姿に恒太郎は「そっくりだ。母さんそっくりだ」という。滝子は満面に柔らかい笑みを浮かべる。これまでの彼女ではない。穏やかで平和な女人像である。

 春。桜花爛漫の下での墓参。4姉妹が並ぶ。愛と絆。苦悩と葛藤。生と死。愛憎劇は終わったのか。そうではない。「女は阿修羅だなあ」。そういいながら手を合わせる巻子の夫、里見鷹(小林薫さん)。その意味を噛みしめると、やはり滝子が一番、魅力的だと思った。さすが名脚本家、図書館司書にいい役をふっている。

            

 映画は森田芳光監督。2003年公開。日本アカデミー賞最優秀監督賞受賞。深津絵里さんは最優秀助演女優賞受賞。1979、1980年にはNHKで「土曜ドラマ」放映。
 向田邦子さんは昭和4年生まれ、『寺内貫太郎一家』など数多くの脚本を執筆。80年には『思い出トランプ』に収録の「花の名前」などで直木賞受賞。『父の詫び状』『男どき女どき』など。81年8月22日、台湾旅行中に、飛行機事故で死去。母校の実践女子大学図書館には「向田邦子文庫」がある。

                  
            左:『阿修羅のごとく』(新潮文庫)【1階女性, 女性‖ムコ, 4001584】
            右:『阿修羅のごとく:全集』(NHKドラマ名作シリーズ)【2階AV,778‖MU, 1017225】