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第46話 「Love Letter」(2014年6月)

    

 いい映画だった。1995年3月の公開だから阪神・淡路大震災から2か月後である。戦場のような報道の一線にいたころだ。もし、あの時にこの作品に触れていたら、どれだけの涙を流していただろう。映画をみることなど、思いもよらない取材の修羅場に、だれもが身を置いていた。そのせいだろうか。この映画の記憶がない。図書館のスタッフに勧められて見てみた。やはり涙が滲んだ。優しい。だれもが優しい。 

 ラストに再び登場する1枚の図書カード。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』のカードだ。裏にあった小さなデッサン。髪の長いセーラー服の少女。彼が描いた別れのメッセージである。逝った男を愛した2人の女性。3人の物語を紡いでゆくのは小さな1枚の紙。愛の行方を追う中山美穂さんが美しい。見事な2役である。図書館の司書を演じた女優のなかでは、『父と暮らせば』の宮沢りえさんと並ぶ、と感じる演技だった。

 「雪」の情景が巧みに撮られている。三回忌で墓参する人々に雪が舞う。神戸の雪。婚約者、藤井樹を山の遭難で失った博子は深い悲しみを抱いたままである。彼の実家で、小樽に住んでいた中学時代の卒業アルバムをみる。そこに名前と住所があった。「お元気ですか。わたしも元気です」。天にいる彼に届くはずはないと思っていても、「藤井樹」に手紙を出した。今はないはずの住所に、である。

 返信があった。小樽の「藤井樹」からだ。こちらも雪のころである。「元気ですが、風邪気味です」。場面は、彼女が務める市立図書館に移る。こちらの樹は司書である。腕いっぱいに本を抱き、顎で押さえて配架しているがくしゃみをすればバラバラと床に落ちてしまう。小樽の彼女も考える。神戸の彼女も思案する。小樽から免許証のコピーが届く。たしかに「藤井樹」である。同姓同名がいたのである。「もうこれまでにしよう」という博子。婚約者の親友でガラス工芸家の秋葉は博子に心を寄せている。樹への思いを断ち切れない博子を小樽に連れてゆく。

 「藤井樹」の住所を探しあてて訪ねるが不在。祖父が「間もなく戻るから」というが2人は外で待つ。博子は家の前で手紙を書く。「小樽に来てすべてがわかった。私の藤井樹は男性です。恋人でした。2年前から彼の行方がわかりません」。死んだとは書かなかった。そして去る博子、帰宅する樹。すれ違う2人。

 文のやりとりが続く。「耳よりな情報をお知らせします。中学のときに同姓同名の男の子がいたのです。あなたがお探しの彼は、その男の子ではありませんか」。樹の中学時代の回想が始まる。

 同姓同名で男子と女子。3年間同じクラスになってしまう不幸。樹は手紙にそんな思い出を書く。級友たちの揶揄。図書委員の選挙では「藤井コンビ」が選ばれてしまう。図書室で働くのは女子の樹だけ。彼は揺らぐカーテンのなかで読書を続ける。だれも読まない本を借り出す。カードに最初に「藤井樹」と書くのが趣味のようにさえ思った。英語の答案。25点と89点の取違いなど記憶がつぎつぎと蘇る。その答案用紙も博子に送る。友人と樹の恋のキューピットになったできごとも書き添える。 

 神戸からポラロイドカメラが届いた。中学校の光景を撮影してほしいという。樹は学校のあちらこちらをカメラに収めていて、当時の担任だった女性教諭と会う。出席番号を憶えてくれていた。懐かしい図書室に入る。先生が紹介すると図書委員の女生徒たちが「あの藤井樹さん?」と大騒ぎになる。図書カードの「藤井樹」をどれだけ見つけられるのか。ゲームをしているのだという。同姓同名の誤解だが、「きっとその男の子、先輩が好きだったのですね。こんなに名前を書いているのですもの」と笑う。そして先生は男の子の藤井樹が2年前に山で遭難して亡くなったことを語る。父を喪ったときの思い出が重なる。風邪をこじらせたのが原因だった。樹も高熱で倒れる。大雪のため、救急車もすぐに来ない。76歳になる祖父が病院に連れて行こうとする。息子を失った、あの豪雪の日の過ちを繰り返したくない。祖父は吹雪の中、孫娘を背負って走るように駆けてゆく。

 一方、博子は秋葉とともに樹が遭難した山に向かう。過去と決別するためであるが、博子の逡巡は続く。山小屋で夜明けを迎える。山に向かって叫ぶ。そこにいる「藤井樹」に向かって雪に足を取られながら。「お元気ですか。わたしは元気です」と繰り返す。

 小樽の病院に運ばれた樹に届いていた。「お元気ですか。わたしは元気です」。樹は眼を覚ました。孫も祖父も助かった。    

 最後の回想。中3のとき、藤井樹が1冊の本を手に自宅に現れた。この本を返しといてという。不器用に「ご愁傷様」といったその顔が懐かしい。翌日、藤井君が転校したことを知る。図書室で、樹が、そこにいるように思いながらプルーストに手をやった。かすかに恋の物語の香りがする。

 樹と博子の文通も終わりに近づく。中学時代のことを書いた手紙が博子から戻ってくる。「あなたの思い出です」と添えられていた。そして、図書カードの名前の「藤井樹」。「彼が書いていたのがあなたの名前のような気がしてならないのです」と加えられていた。 

 樹は最後の返信のつもりで書き始めた。それはこう書くつもりだった。

 後輩の図書委員がやってきたのだ。発見があったという。あの『失われた時を求めて』を持っている。図書カードに触れる。その名は「藤井樹」。「早くその裏を」と促されてみると、可愛い少女が描かれていた。鉛筆で丁寧に。その顔は間違いなく、今手にしている「藤井樹」である。涙が溢れた。でも「恥ずかしくてこの手紙は出せません」と結んでしまった。だから博子は知らない。「樹」からの恋文、ラブレターがようやく「樹」に届いたことを。

 監督・脚本は岩井俊二、撮影、篠田昇。中山美穂が2役、豊川悦司が「秋葉」を。第19回日本アカデミー賞作品賞受賞。少年、少女時代の樹を演じた柏原崇と酒井美紀が新人俳優賞を受賞した。韓国でも人気になり「お元気ですか」が流行語になったという。