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第53話 「大学は楽しからずや」(2015年5月)

 

 キャンパスは華やいでいる。もっとも心弾む季節である。図書館も新しい顔で溢れている。1人でも多くの学生に本に親しんでほしいと、このころには強く願う。授業も始まった。このコラムでは、大学での日常を語ったことがないように思う。ちょうどメンバーである「よみうりカントリークラブ」の会報に掲載された文章がある。紹介したい。

 アンネ・フランクが生まれたのは1929年、あの世界大恐慌が起きた年の6月12日である。生きていれば今、85歳。みなさんのおばあちゃんのなかに、同じ年の人がいるかも知れませんね。こんな語りかけで授業は始まる。次には21秒の映像を見せる。アンネ13歳。隣人の結婚式をのぞくためにアパートの2階から身を乗り出す姿が捉えられている。「彼女は動画の時代に生きていたのです」と付け加える。祖母と動く映像。辛うじて親近感を覚えてくれる。1929年という「生年月日」では通じない。歴史に弱い。というより、歴史教育をしっかりと受けていない。年代や出来事、人名を記憶するのが歴史だと思っている。その彼女たち。「アンネって、3、400年前の女の子と思っていました」と屈託がない。とりわけ学生たちに「戦争の時代」を知って欲しいと「戦争と女性」という講義を始めて4年になる。意外なことに、学生の反応が良くなっている。

 第二次大戦の最大の惨禍とされるポーランドにあるナチスのアウシュビッツ絶滅収容所跡。ホロコーストは授業のテーマの一つだ。ここを訪ねた学生がすでに計6人になる。パリやローマではなくアウシュビッツ。「一生にきっと一度しか行けない旅をしたい」といって出かける。14年度の後期は定員100人に495人の応募があった。今年は戦後70年。新年度から思い切って定員を200人に増やしてみる。学生は、歴史に弱いが、勘と観察力は鋭い。こちらも動かなくてはならない。昨年夏は、記者時代を含めて7度目のアウシュビッツ行に挑戦した。3月には学生とともに沖縄で女子学徒看護隊「白梅隊」の生還者と会う。「白梅の悲話」も私のテリトリーである。アンネと同じ年ごろに修羅の戦場を駆け巡ったのだ。お付き合いは30年以上になる。授業は、すべてに女性を登場させているから原爆なら、広島で被爆し亡くなった元タカラジェンヌの園井恵子を語る。特攻なら、南の海に散った若者の婚約者を思う。

 記者の性(さが)でもある。毎回、同じ授業ができない。少しでも変化させようと奮い立たせなくては気がすまない。損な性分である。ファッションは派手になっている。口の達者な学生も多い。「今日のジャケットは?シャツは?」と言ってくれるので、読売時代よりもお洒落費用がかさむ。誕カ日には20人が祝ってくれる。クラッカーが鳴る。

 新聞社にいたころは紙面を通じて伝えることに懸命だったが、今は、そこにいる人間に直接伝えなくてはならない。その責任は、重く大きい。しかし、楽しい。

    

 日本で一番、学生がたむろする図書館長室を目指している。月に30人は現れる。雑談。本の話、映画の話題、もちろん就活のことも。今年度も、にぎやかな空間にしてみたい。

            
              「アウシュビッツ戦争と女性」授業風景