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第57話 「言葉の力」(2015年12月)

 

 年に1回、神戸大で講義をしている。「職業と学びーキャリアデザインを考える」というオムニバス形式の授業で、卒業生たちが後輩に贈るメッセージでもある。11月19日に国際文化学部の教室であった。他の大学での授業を見る機会はめったにないので毎年、武庫女の学生も聴講させてもらっている。「言葉の力」をテーマにした。新聞記者として40年余、今は図書館長として言葉と闘っている。私の心に残る言葉が果たして学生たちに届くのか。いつも緊張する。

 例えば「現場に神宿る」。新聞記者になって初めて遭遇した交通事故の取材を通じて、現場で五感を機能させることの大切さ、時にはマニュアルを捨てることの意味などを語る。「同行1人、だれもくるな」。父も新聞記者だった。戦争末期には大本営を担当していたが、時折、「十死零生」を覚悟で飛び立つ特攻の若者たちを取材した。出撃の前日、中尉が飛行帽の内側に書き込んだこの言葉を見せてくれた。「こんな死に方は俺たちだけでたくさんだ」と言い添えたそうである。「同行2人」ではない。その中尉の思いを語る。「JR福知山線脱線事故」の遺族と女性記者との絆、東日本や阪神・淡路大震災で生まれた言葉。あわせて8つの言葉の物語を伝えた。学生たちから感想文をもらった。以下はそれに対する返信である。

 「この講義も折り返し地点となった今日、私はメモをとることができないほど話に引き込まれました。何度も胸が苦しくなり身動きできなくなり涙を流してしまう場面もありました」
 「とてもシリアスな話でいつも以上に真剣に聞く以外に何もしようと思う気が起こらなかった。話を一心に聞いた」
 「重く心にのしかかるような語りでした。紹介された言葉はどれも心に深く刻まれるものでした。現場から生まれた言葉の重みは計り知れません」
 「先生が話し始めた瞬間に教室の空気がこれまでとは違うものになったことに気づきました」

 このようなメッセージを母校のみなさんから数多くいただき、本当に嬉しく思いました。私のミッションが少しは果たせたようで安堵しています。これらの感想に対して答えを出してみます。

 私は研究者でも教育者でもありません。現場を駆け回ってきた一記者です。だから「説明する」「理解してもらう」などという気はあまりないのです。私が大切に抱えてきた「言葉の力」を伝え、それを皆さんが心のどこかに留めておいてくれれば、役目は終わります。その私の思いを50歳も違う後輩たちが感じ取ってくれたことが、嬉しいのです。たまにはこういう授業があってもいいのでは、と1人で納得しています。

 ただそれには条件があります。受容する側、つまり学生の感性が豊かでなければ、私の授業は成立しないということでもあるのです。1枚1枚の感想文に若者らしい言葉が並んでいました。そして、「言葉の力」を信じて、人生を過ごしたいといってくれた人もいました。あなたたちが支えてくれた授業なのです。紹介した言葉、本当はもっともっと話してみたかったのです。それでも「アンネの日記」「微力だが無力ではない」「コモン・マン」「母の骨を抱いた少女」。みなさんが、物語の向うにあるものを懸命に探し出そうとしてくれたこと、しっかりと伝わりました。

 「今を大切に、家族を大切に、友だちを大切に精いっぱい生きていきたいと思います」「人の意見を素直に聞けるようになった」「キャリアとは自分の生き方、そのものだと改めて感じることができました」「被害者の数でその悲惨さを判断することの愚かさに気づかされました」。

 新聞記者のイメージを変えてくれた学生もいました。大先輩の記者から聞いたことがあります。「心の中を涙でぐしゃぐしゃにして現場に立つ」。それが事実や真実に迫るときに一番大事なのだと。「伝えたい」一心で話せば、必ず伝わります。テクニックではありません。「言葉の力」に寄り添うのです。

 どこかに「熱」を含んでいなければ「言葉」ではありません。「言葉」は澄んでいなければなりません。さあ、「言葉の旅」を始めてみませんか。その旅のどこかで会える日を楽しみにしています。

   

 授業は楽しい。準備や添削・採点に追われるから1週間があっという間である。それでも、学生たちと向き合えば、勝負が始まる。その緊張感が私をまだ成長させてくれる。学生たちに話したい。「『言葉の力』を育てたいと思うなら、まずは本を読むこと、新聞に触れ、活字に親しむことである」と。時間がかかるのは当たり前で、そう簡単には手に入らない。