お知らせ

第60話 「いのちの詩」(2016年3月)

 

 東日本大震災から5年、岩手県で取材を続けていた読売テレビ報道局の記者、中村和可奈さんが1冊の本を届けてくれた。メモが添えられていた。

 「この本のページをめくるごとに、言葉の持つ力に圧倒され、いてもたってもいられない、そんな気持ちになります。
 著者の中村博興さんは釜石出身。震災の2日後、盛岡市から物資を持って故郷、釜石に向かいました。そこで出会ったのは、家を、生活を、家族を失った人たち。中村さんはそんな被災者の言葉から『命の叫びを感じた』といいます。必ず後世に伝えなければ、と会話をノートの端に書き留めるようになったことがこの本の始まりです。
 それぞれの人生が凝縮された言葉の数々。この言葉を発した人と会ったことがないのに、まるで自分の家族が発したかのように、胸が締め付けられ、涙が溢れて溢れて止まりません。何かしなければ、この人たちのために、何かしなければ。そう強く思いました。言葉によって突き動かされるという経験を初めてした1冊の本。ぜひ、『命の叫び』を感じてもらえたらと思います」

 和可奈さんは武庫川女子大学で学び、報道の一線に立ちたいという思いを実現させた私の教え子でもある。急いで、その『いのちの詩』を読み始めた。温もりのある字。しかし、言葉は鋭い。

  家族が
  どうなってんだべ
  生きててくれよ
  どこででもいいから
  生きててくれよ

  見つけた命なんだか
  拾った 命なんだか
  生かされている
  命なんだか
  わからなく
  なることが
  あるんだよ

  父ちゃんと手をつないで
  いっしょに逃げたの
  途中で大きな
  木がぶつかってきて
  手が離れてしまったの
  父ちゃん沖に流された
  父ちゃん手ふっていた
  さよならと言ったのか
  逃げろと言ったのか
  助けてと言ったのか
  よくわがんねがんす

 岩手県盛岡市で呉服商を営む中村博興さんは71歳。2011年3月13日から被災地に入った。故郷は瓦礫で埋まり、親友も命を失った。以来、避難所や漁港や被災者の住まいなどに足を運び続け、ボランティアを通じて巡り合った人々の「言葉」をメモにした。スーパーのチラシの裏に急いで書き留めたこともあった。自宅で、被災地の宿で、ラーメン屋さんで、使い慣れた太字の万年筆で別の紙に写し換えた。その人が語るときの表情や背景を思い浮かべた。哀しい眼差し、心の底に沈んでいる深い怒りや後悔。「いのち」「家族」「絆」「愛」という、ありきたりの言葉ではくくれないような文字がペン先から流れてゆく。

  気がついたら
  いつのまにか
  足がねぇ
  海に向って歩いていた
  海で生きて
  きたんだもの
  やっぱり
  海でしか生きて
  いけねぇよ

  まさかここまで
  津波が来るとはねぇ
  油断してしまった
  なんでもない日が
  本当は幸せだったんだね
  平凡に生きるって
  むずかしいこと
  なんだねぇ
  ちょっと
  気づくのが
  おそかったでば

  幸せは
  うしろから
  来たって
  聞いたことないし
  前を向いて
  歩くしかないよね

  男のあんたには
  わがんねぇと思うけど
  女ってさ
  不思議なんだよ
  メークしていくうちに
  だんだん
  頑張ろうって
  そんな気持になってくるの
  気合が入るんだよね

 こうした言葉が小さなこの本に凝縮されている。無名の人々が生み出す言葉には、なんという力があるのだろう。被災者の言葉を丁寧に拾い上げている。そして、人々に、大地に、海に自らの思いを寄り添わせている中村さん自身が重なっていく。決して「羅列」しているのではない。一つ一つが繋がって物語になっているのだ。東北の言葉が柔らかい。

  そりゃああんた
  人間ですからねぇ
  泣くときには泣きますよ
  でもさ
  やるときには
  ちゃんとやりますから
  このままでは
  津波に負けたことに
  なってしまうべ
  わたしはね
  今ね ちょっと
  お酒入ってますけどね

  「絆」
  辞書でしらべて
  みたんすよ
  「たちきることができない
  人間どうしのつながり」と
  書いてあった
  これまでどれほどの多くの人と
  つながりを持ったことか
  俺立ち直れそうな
  気がします

 『いのちの詩』には写真が添えられている。中村さんは250ミリのレンズを付けたカメラをいつも手にして被災地を巡った。宮古市での1枚。折れた電柱のそばを歩く男性の後ろ姿を捉えている。リュックには、ピンクと黄色の大輪の花でできた花束を差し込んでいる。黒いズボン、黒い手袋。でも、真っ白なシャツ。正面を真っ直ぐに目指している。その日は市の合同慰霊祭があった。中村さんは車の中から撮った。1枚。男性の姿はもう見えなかった。60枚を超える写真もまた「言葉」を伝えている。

 中村さんは「地震はきっとこれからも起こります。この小さな本に込められた言葉が、『いのち』を考える警鐘になればと願います。和可奈記者の取材を受けて、あらためて多くの人に知って欲しいと感じたのです」と語っていた。

 私たちの図書館には東日本大震災、阪神・淡路大震災関連の書籍を集めた震災コーナーがある。阪神・淡路大震災で亡くなった卒業生の卒論なども展示している(参考・第9話『恵子、さよならも言わずに』)。図書館もまた「風化と闘う」ミッションがあるとの想いから生まれた空間である。『いのちの詩』を蔵書とし、このコーナーに配したい。

   

 『いのちの詩』(B6判・147ページ)の購入希望はFAX(019-662-2071)「和のギャラリーなかむら」まで。定価780円。中村博興さんが代表をつとめる「和のギャラリーなかむら」(〒020-0114 岩手県盛岡市高松1丁目14-59)では詩、写真、絵画などの作品が展示されている。