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第62話 「ミツザワ書店」(2016年7月)

 

 土曜日朝のウォーキングは、少し遅めの8時にスタートする。5分後には小さな水路に出る。蓮の花が見事な頃である。NHKラジオの「ラジオ文芸館」の時刻である。「アナウンサーの語りと音響効果で構成する“聞く短編小説”」と告げ、物語は始まる。その朝は角田光代さんの『ミツザワ書店』であった。20ページ余りの短編。図書館という言葉が4度出てきた。聞き逃すはずはない。ちょっと駆け足になって、公園のベンチに腰を下ろす。スマホを取り出し、その文庫本を注文する。それにしても、いい話だった。「顔を上げると、青い空に凧がひとつ浮かんでいた。」で終わる。午後には本が届くだろう。耳で聞き、すぐに目で読む。このところ、そうすることも多くなってきた。

 『さがしもの』というタイトルの文庫本には『ミツザワ書店』など9つの短編が収められていた。解説で書評家の岡崎武志さんは「角田さんは本書で、小説を読む喜びを読者に与えるとともに、本そのものが持つ魅力を、人ごみで恋人がささやくように静かに伝えている。読んだ後、きっとあなたはこれまで以上に本のことが好きになっている。生きていると同じくらい、本と出会えてよかったと思うはずなのだ。」と書いている。どれも本と本屋さんが登場する。古本と古本屋さんも多い。

 その書き出しは、文芸雑誌の新人賞をとった27歳の会社員が記者の問いに応じる場面である。「本が出たら一番最初にだれに伝えたいですか」彼が思い出したのはミツザワ書店のおばあさんだが、そうは答えず「親」と無難に応じてしまう。つまらなさそうな顔の記者たちが目に浮かぶ。

 シャッター通り商店街と化した一角に、その書店はあった。乱雑に本が積まれている店内。おばあさんはいつも積み上げられた本に埋もれるように、読み耽っていた。少年にとって、そこは世界図書館であった。世界のあらゆる本がここにはあるんだと信じていた。欲しい書名を言えば、おばあさんは「まるで犬が嗅覚を頼りに穴を掘るみたいに、ぴたりと立ち止まり本の塔に手を突っ込むようにして」その1冊を取り出してくれた。おばあさんの頭の中ではきちんと分類ができているのだ。

 読みながら、ついさっき聞いた朗読が浮かんでくる。アナウンサーの声に効果音が加わる。短編小説がテレビドラマのように映像になってくる。物語の流れはシンプルでわかりやすい。

 彼は2作目に挑戦しているが書けない。自分の小説が掲載された文芸誌を取り出し眺める。やはり「ミツザワ書店」が思い起こされる。「多作でなくてもいい、有名になれなくてもいい、これからずっと小説を書いていこうと思うことができる。」

 彼は一度だけ万引きをしたことがある。その場は「ミツザワ書店」だった。箱入りの分厚い小説に惹かれた。読みたいと思った。欲しいと思った。1万円。誰かに買われては、とその本を積み上げられた本の下に隠した。毎日のように確かめるが、本はいつも上に置き換えられていた。どうしてもこの本が欲しかった。盗んだ。家に走って戻り本を開いた。夜が明けていた。「すげえ。すげえ。すげえ。その言葉ばかりをくりかえした。」

 小説を書いてみようと思った。「拙くてもいい、饒舌でなくともいい、何か、何かないか。」自分の言葉を探すように文字を書き連ね、新人賞を得た。

 正月3日、ミツザワ書店に向かった。1万円と出版された自分の初めての本を手にしていた。シャッターが閉まっていた。裏側に回って住いのインターホンを押してみた。若い女性が現れた。

 物語の結末は、早くも見えているが、駆け足になったり、立ち止まったりして読んでいるように思えてくる。これが短編小説独特のリズム感である。  

 おばあさんは他界したという。両親と住む孫娘だった。実は、と話し始めた。授賞式で真っ先に思い出したのがおばあさんだったこと。そして本の代金を取り出して頭を下げた。孫娘は笑う。「こうしてお金を持って訪ねてきてくれた人も、あなただけじゃないの。祖母が生きているあいだも、何人かいたわ。」一緒に店内に入った。あのときのままである。本のにおいも変わらない。自分の単行本を塔になった本の一番上にそっと置いた。「埃をかぶった本は、すべて呼吸をしているように思えた。ひっそりと、時間を吸い込み、吐き出し、だれかに読まれるのをじっと待っているかのように。そのなかに混じったぼくの本は、いかにも新参者という風情で、居心地悪そうだった。しかし幸福そうでもあった。」門まで見送りに来た孫娘は、いつか、ここを開放して「図書館なんておこがましいけれど、この町の人が読みたい本を好き勝手に持っていって、気が向いたら返してくれるような、そういう場所を作れたらいいなって思っているんですよ」と言った。

 ひっそりとした商店街を歩いて振り向くと、ミツザワ書店が鮮やかに浮かんできた。「不釣合いでも、煮詰まっても、自分の言葉に絶望しても、それでもぼくは小説を書こう、ミツザワ書店の棚の一部を占めるくらいの小説を書こうと」思う。 

 やはり短編小説はいい。書き手の表情が見え隠れする。言い訳になるが、このコラムが「あらすじ」になってしまったのも短編の力に魅了されたからである。ウォーキングもいい。我々の少年時代には、どの町にもあった「ミツザワ書店」に連れて行ってくれたからである。

 『さがしもの』は新潮文庫から刊行。角田光代さんの『あとがきエッセイ 交際履歴』が楽しい。本や本屋さんとの出合いが保育園時代から描かれている。「私と本のおつきあいはものすごく長い。小学校にあがる前に本との蜜月があった。」という。「本がある、という理由で、学校で一番好きな場所も図書室だった。」9つの短編には本と本屋さんへの愛情に満ちている。

                

      『さがしもの』【中央図書館1階現代女性作家コーナー, 女性‖カク, 45030108】