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第67話 「天使のいる図書館」(2017年2月)

 

 2月18日午後の私のツイッターである。

 「きょう封切られた『天使のいる図書館』を観た。図書館、それもレファレンスがこれほど登場する映画は初めてだ。嬉しい。奈良県は葛城の地にある広陵町立図書館が舞台になる。新人司書に扮する小芝風花がいい。彼女の熱意が愛の秘密を解き明かし、自らも成長してゆく物語。佳品である」

 きっとレファレンスって?という読者も多いと思う。その意味を知らなければこの映画のチラシにある「本と人、心と心を繋ぐ、感動の物語」は分からない。図書館には「レファレンスサービス」というサービスがある。映画では眼鏡をかけた愛想がよくなくて、どんなことでも「事実」や「知識」の中に押し込めてしまおうとするヒロイン、さくらが座っている。難しくいうとその仕事は「文献所在調査」「事項調査」「利用指導」に分けられる。さらに堅くいえば、図書館法第三条では「図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない」と定められている。一言で説明すれば「調べもの・探しもの、お手伝いします」という役目だ。

 さくらは理系女子。能力は高いがどこか外れている。「泣ける本はありませんか」という利用者に迷わず選んだのが『世界拷問史』という分厚い本だ。これは見ているだけで痛みが走り、思わず泣いてしまう。だから「泣ける本」だと考える司書なのである。話し方も機械的、歩き方も、行動も一定のパターンの範囲に止まる。コミカルに描かれ、その人柄に、情感はどこにもない。

 さくらが、その老婦人に会って変わり始める。香川京子が演じる芦高礼子という、79歳のその人は1枚のセピア色の写真を手に図書館を訪れた。亡くなった祖母への思いを重ねたさくらは、礼子とともに葛城の町や村を歩く。レファレンスのサービスをはるかに超えていく。写真は増え続け、2人が探す範囲も大和高田市、御所市、香芝市、広陵町と歴史に彩られる葛城全域にまで足を延ばすことになる。図書館のスタッフはハラハラしながら見守る。

 約束の日、礼子は現れなかった。礼子の孫、幸介(横浜流星)がやってくる。祖母は余命いくばくもない。病院で読む本を貸してほしいと。さくらは何としても、その写真の背景を知り、伝えなくてはと思う。写真には若いころの礼子とさらに若く見える男性が写っている。その男性はかつて、新聞社主催の写真コンクールで入賞した人だった。新聞の縮刷版と格闘してようやく見つけたのは、同じ図書館で働く田中さん(森本レオ)が受賞したときの記事だった。

 礼子は高校の教師をしていた時に愛し合った田中さんの姿を求めて図書館に足を運んでいたのである。礼子の思いを伝えようとしたが田中さんに拒絶される。

 さくらは礼子や幸介とともに、その写真の背景になったススキの高原を訪れる。そこに現れた田中さん。互いに手に取り合ったのは古びた1冊の本、中河与一の『天の夕顔』だった。会うこともなく、その純なる愛は半世紀以上も続いていたのだ。

 間もなく届く訃報。「もしも私の人生が1冊の小説だとしたら、ラストシーンはあの人と一緒がいい」という礼子の願いは届けられたのだ。あの日、あの時、さくらがレファレンスデスクにいたことが「愛」の物語を完結させた。田中さんは確かこう言った。「知識で想像力にふたをしてはいけません」と。さくらは、人の思いを感じることを学び、今、笑顔を絶やさず働いている。

 レファレンスを取り巻く状況は映画と少し違う。たしかにレファレンスは司書の中でも花形だったが、全国の公共図書館、大学図書館はオンラインで結ばれるようになり、文献所在調査の依頼は激減している。私たちの図書館でもレファレンスデスクの看板を外し、4月からは「学習・研究支援デスク」と名を変え、利用サービスに特化させるのだ。

 そういう時代だからこそ、「天使のいる図書館」が生まれたのかもわからない。いつの時代でも図書館は「本と人、心と心を繋ぐ場」であること、そしてきっと天使がそこには微笑んでいることを伝えるために。

 「天使のいる図書館」。監督は奈良県出身のウエダアツシさん、脚本は狗飼恭子さん。奈良県で先行上映された。

             
              (C)映画「天使のいる図書館」製作委員会