第6回「大学授業研究会」の記録

開催日時: 2009年 1月 21日 16時 30分〜 18時 00分
開催場所: H3−204       
参加人数:   32   人
司会者氏名: 大井 史江 (建築)    
記録者氏名: 齊藤 文夫 (心福)    

授業実践事例の報告者
(1)学 科:日文  実践報告の概要 (1)文芸創作I(辰巳都志 教授)
(2)学 科:音楽  報告に係る科目名 文芸創作I 論文法(永島 茜 講師)

<文芸創作T(辰巳教授)>

  1. この科目は、3年生対象の選択科目である。前期が「文芸創作TA」、後期が「文芸創作TB」である。受講者数は25名程度。
  2. 授業の特徴として、「自ら思考する力を養う」「自ら学ぶ面白さを発見させる」「レポート課題を課し、コメントをつけて返却する」といった点が指摘できる。
  3. 日本語日本文学科の教育目的に沿った科目で、担当者自身が意図する科目の教育目標として、「即戦力あるプレ社会人教育をめざす」を掲げている。 @言語感性、A構想力、B構成力、C表現力、D推敲能力、E発表力、Fチームワーク(協調)を育てることをねらっている。
  4. 授業の内容は、班別での実習が主である。前期では基本的なことを学んだ上で、実作と推敲を繰り返し、最終的にはプレゼンテーションをする。後期では、班別に、 ラジオドラマのシナリオ習作と批評を繰り返す。最後には、MM館地下のスタジオを借りて、班別でドラマを収録し、CDにする。
  5. 上記のような事項を中心として、パワーポイントによる授業内容の詳細な説明がなされた。配布資料として、レジュメ、シラバスの写し、アンケート集計結果などが配布された。

<論文法(永島講師)>

  1. この科目は、3年生後期の必修(音楽療法コースの必修)科目である。本年度の受講数は16名、授業回数は14回であった。
  2. 授業の特徴として、「知識を理解させ、定着させる」「レポート課題を課し、コメントをつけて返却する」といった点が指摘できる。
  3. 科目の教育目標は、「卒論執筆の基礎作り」である。
  4. 授業の内容は、学術論文の基礎的な技法、学界や論文投稿の仕組みの概要などを教授した上で、課題レポートの提出、添削、口頭でのコメントなどが中心である。
  5. 今後の課題・問題点として、卒論執筆への効果が未検証であること、授業が議論にまで発展しなかったことなどがある。
  6. 上記のような事項を中心として、パワーポイントによる授業内容の詳細な説明がなされた。配布資料として、レジュメ、授業で取り上げた課題と課題文、参考文献、 受講者の感想、レポート課題、パワーポイントの縮小版などが配布された。

【自由討議の概要】

(1)文芸創作I(辰巳教授)に関する質疑の概要
(フロア1)授業の受講者数は?
(辰巳1)25名くらいである。4年次になると、5〜6名になるが、これは、受講する者が、真に興味関心のある学生に限定されてくるためである。
(フロア2)班別はどのようにしているのか?
(辰巳2)学生に好きなように班を作らせている。2〜6名で、計5班くらいを作る。
(フロア3)評価はどうしているのか?
(辰巳3)平常点評価である。ただし、文芸創作の才能はばらつきが大きいので、学生の努力点も評価している。
(2)論文法(永島講師)に関する質疑の概要
(フロア1)音楽学部で「卒業論文」が必修になっているのか?
(永島1)「音楽療法コース」では、必修になっている。「演奏のコース」は、「卒業演奏」が必修である。
(フロア2)3年生には、ゼミはないのか?
(永島2)他学科のような形のゼミはない。
(3)全般的な自由討議の概要
(フロア1) 顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれないが、この科目の教育効果うんぬんよりも、それぞれの先生のテーマに対する取り組みそのものを面白く感じた。教員自身が「これが面白い」ということを教授することが大切だと言いたい。
(辰巳1) 授業では、「日本語に対する言語感性を育てる」ことを考えている。日本語の感性を磨き、「日本のことばや文学に誇りを持ってほしい」と思っている。
(永島1) 私自身は、フランスにおける芸術に対する公的支援に興味を持っている。そのテーマに関する自分の論文を授業でも用いた。
(フロア2) それぞれの先生が自分自身で興味あるテーマに取り込んでおられる姿を学生に見せ、「これが面白い」ということを伝えることが大切だとも思われた。
(フロア3) 「音楽教育」も「文学教育」も、本質は同じだと感じた。興味深く、お話を聞かせていただいた。文芸創作も、器楽演奏・声楽も、感性や構想力やプレゼンテーションが大切だと、改めて思った。
(辰巳2) 私は、自分自身のテーマは、音楽にも通じていると思っている。私自身は、いわゆるアカデミックな研究よりも、クリエーティブなことに関心がある。
(フロア4) 私は音楽学部で、オペラを専門にする教員ですが、西洋のオペラでは、外国語が日本人には直接に通じない。今、日本のオペラを創作したいと思っているが、台本がない。日本語日本文学科ですばらしい台本を書いてください。
(辰巳3) 今年は地唄の作詞を頼まれたので、チャレンジしようと思っている。また、文学部と音楽学部でコラボしましょう。
(フロア5) 思いがけないことから、学部を超えたコラボが実現するかもしれない。そのこと自体については、「FDの予期せぬ副産物」として結構なことだと思う。 しかし、音楽学部における「卒業論文」や「論文法」のカリキュラム上の位置づけはどうなっているのか? この自由討論の冒頭で、どなたかが発言されたように、「教育効果などあまり気にせずに、 教員がやりたいことをやれば、それが学生を感化する」という考え方も分かる。むしろ「大学教育の伝統的思考法」によれば、永らくそのような考え方が正当とされてもきたし、今もその伝統的思考法を支持する大学教授陣も多い。 しかし、それは、大衆化という今日的大学教育を大前提とした場合、大学教員の勝手(な教育行為と見做されるの)ではないだろうか? 今の日本の高等教育において、大学教員が自分の専門性のみに依拠して、教育していていいのだろうか? (そのことが優先的に認められる場合もあるが) 当然のことながら、大学教育において学術的専門性は否定できないが、大学・学科の教育目標(育成すべき人材像・資質能力) やその具体化のためのカリキュラムの中で、どのような内容を教授し、何を学修させるか、それぞれの科目の意味や位置づけを考えることが今求められると思う。このような、いわゆる学士課程教育の組織的構築作業との関連性において、 自らが専攻する学術的・専門的知見を駆使しつつ、日々の授業を設計し・創造する力が、大学教員にも求められつつあるということである。この経緯の中で、このように大学授業研究会を主要なるFD活動として実施している次第である。
(永島2) 私の説明の仕方が不十分だったかもしれない。私は、この科目で自分の専門性の話はしていない。私の論文は、ひとつの参考として、学生に示したものです。
(フロア6) 「論文の書き方」を教えているのは分かる。しかし、「なぜ論文を書かなければいけないのか?」ということが学生には分かっていないのではないか。そのために、この授業は空洞化するのではないか。 私も、所属学科において論文指導を行ってきたが、論文の作成より前に、文章を書く力が十分に形成されておらず、その上で論文指導を行っても学生には苦痛を与えることになりかねないことを危惧している。そうならないためには、 文章を書いたり、それを論文化したりするプロセスにおいて、学生たちの専攻する分野に係る体験・ボランティア活動内容との繋がりを対話しながら意識させつつ、記述行為と並行させるなどの工夫が必要であることに気付いたので、このような個人的経験との係りで、 参考になればと思い発言させていただいた(苦労したので・・・)。
(永島3) 「論文法」と「卒業研究」との違いを、さらに考えていきたい。
(フロア7) 音楽学部の学科長の立場から申し上げると、音楽学部の学生は小さいときから、実演・実技はやっている。卒業演奏で最高のものを演奏することが目標になりがちだ。学生たちには、思考する・論理的に考えるということが欠けている。 音楽を学んできた教員が、自分自身の経験を踏まえて、論文を書くことを教えることには意味があると思っている。欠けているものを補うことが必要であろう。
(フロア8) この説明はよく理解できるし、その必要性についても認められる。
(フロア9) 「音楽療法士」について、教えてほしい。
(永島4) 認定試験を受ける者は、ほぼ100%合格している。自治体によっては、音楽療法士を採用するところもあり、福祉領域で音楽療法が活用されている。本学を卒業し、さらに他大学の大学院で音楽療法を学ぶ学生も3〜4人くらいいる。
(前原委員長) 新設・応用音楽学科の人材養成に将来的に繋がるであろう「音楽療法士養成というコンセプト」で、がんばっておられることがひしひしと感じられた。そうであればこそ、この科目の位置づけを、学科でさらに深めてほしい。音楽と文学のコラボも、実現すれば、「FDの予期せぬ成果」といえるでしょう。今後のご活躍を期待しています。
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