ヒロシマの被爆体験伝承者の山本美弥子さんからLINEをもらった。『モーツァルトはおことわり』という、とてもすてきな絵本に出合ったと。彼女は新聞社時代の後輩だ。私の授業「アウシュビッツ 戦争と女性」に参加してくれている。被爆者の証言を次の世代に繋ぐ活動の一期生でもある。学生は体験のない人物が語る、あの日に聴き入る。アウシュビッツを訪問したこともある。
絵が優しい。ナチスの強制収容所の描写にも、ベニスの景色にも、どこかに優しさが滲む。
物語は新米の女性記者が高名なバイオリニスト、パオロ・レヴィにインタビューする場面から始まる。デスクは言う。「モーツァルトの件についての質問だけはしない約束よ。だから、それはきかないでね。」でも記者は、緊張で混乱しながら、最初にモーツァルトに触れてしまう。でも、それがパオロの心を揺さぶった。初めて人生を語り始めたのだ。サスペンスに満ちた物語である。
パオロ少年の両親もバイオリニストだったが、口にすることはなかった。少年はベニスの街角で一人のバイオリン弾きと知り合う。バンジャマン・ホロヴィッツ。親しくなり、教えを乞う。そして、両親にも合わせた。3人は、涙を溢れさせた。ユダヤ人を大量虐殺した同じ収容所を生き延びた、その瞳を忘れるはずがなかった。20年ぶり、奇跡の再会だった。
それぞれが収容所に着いたとき待っていたのは「選別」だった。「プロの音楽家はいるか?」という問いに答えれば、ガス室送りは免れた。皮肉なことにナチスも音楽が好きだった。オーケストラが編成されていた。そのメンバーを囚人から選抜していたのだ。モーツァルトを、何曲も、何曲も演奏させられた。アイネ・クライネ・ナハトムジークやメヌエット、舞踏曲、行進曲。ナチスの将校らのための演奏会である。「音楽で戦っていたのだよ。音楽が唯一の武器だった」と父は言う。しかし、現実は過酷だった。ユダヤ人たちが到着すると、団員たちはモーツァルトを演奏する。恐怖を和らげる旋律だった。他の囚人たちと違って、食事にもありつけた。家族や友人たちが煙になってゆくのを見ながら生き延びたことは、解放の後の苦悩でもあった。3人は手をつなぎ合ったまま語り続けた。
パオロはバイオリンの道を歩んだ。父との約束はただ一つ。「私が生きているあいだは、人前や私に聞こえるところで、ぜったいにモーツァルトを演奏しないでほしい。モーツァルトはおことわりだ。約束しておくれ」。父が亡くなるまでそれを守った。
インタビューは終わった。パウロは言う。「そろそろ真実をあきらかにしなくてはと思っていたんだ。あんたはバンジャマンと同じようにやさしい目をしていた。それに何より、あんたはモーツァルトの件についてはいっさいたずねなかったからな」
作はマイケル・モーパーゴ、絵はマイケル・フォアマン、訳はさくまゆみこ。岩崎書店刊 。
『モーツァルトはおことわり』は中央図書館で受入手続き中。