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第6話 「朗読者」(2010年11月)

 一気に読んだ。社会部記者の頃、ホロコーストの象徴ともいえるポーランドのアウシュビッツを6回取材で訪ねたことがある。虐殺された人々を焼却する炉も、刈り取られた髪の毛も見た。いつも吐き気をこらえながら、おびただしい遺品と向き合った。しかし、訪問を重ねても、そこで、なぜ、何が起きていたのか、理解できたとは思えなかった。ホロコーストと関わる文献を読み、記録映像も確かめるが、やはり漠としたままである。「朗読者」はこれまで手にした本とは異なっている。「読む」という行為を通して、人間の尊厳に迫ろうとしているのだ。

 1950年代後半のドイツのある都市。15歳の少年、ミヒャルは21歳も年上のハンナと激しい恋に落ちる。「坊や」と呼ばれ、せがまれてベッドで本を読む。「戦争と平和」や「オデユッセイア」。朗読し、シャワーをあび、愛し合う。小さな旅行にも出かける。宿帳にはミヒャルが嬉しそうに「母と息子」と書く。市電の車掌をしていたハンナは昇進をもちかけられたその直後に姿を消した。

 二人は8年後、思いもかけないところで再開する。大学で法律を学ぶミヒャルはゼミで、ナチスの犯罪を裁く法廷を傍聴した。被告席にはハンナがいた。親衛隊に入り、アウシュビッツで看守として働き、その後も別の収容所にいたことなど、ミヒャルの知らない事実が明らかになる。「選別」というユダヤ人らの生と死をわける作業に加わっていたこと、西へ移送する際に、連合軍の空襲に合い、教会に封じ込めていた60人の女性が焼け死んだことなどが罪に問われる。一通の報告書が示された。「ハンナが書いた」と他の被告人たちが口を揃えた。きわめて重要な証拠。確かめるために筆跡鑑定をすることになるがハンナは拒否し、自ら書いたと認める。

 傍聴席のミヒャルは確信した。「ハンナは読むことも書くこともできないのだ」。だから朗読させ、書くこともゆだねたのだ。だが、「読み書きができない恥ずかしさが本当に原因だろうか。字が書けないことを隠すために犯罪者であることを自白するだろうか」。ミヒャルの想いは巡る。それは読者とも共有する疑問である。判決は無期懲役。

 ミヒャルは8年後、「オデユッセイア」を朗読し、テープに吹き込んで刑務所に送った。チェーホフもカフカも小包にした。4年目に彼女から便りがあった。「坊や」で始まり「この前の話は特によかった。ありがとう。ハンナ」。手紙の裏にも文字は浮かんでいた。たった3行。ミヒャルは「書けるようになった」と歓喜する。ハンナは刑務所にある小さな図書館で朗読された本を借りだし、テープを擦り切れるほど聞き直し、声と文章を重ね合わせて文字をひとつひとつ記憶したのだ。テープは送り続けられ、手紙の文字は次第に美しくなった。

 恩赦があり、18年の刑期で出所できることになった。身元引き受け人になったミヒャルは市立図書館に近い住まいを見つけ、その日迎えに行くがハンナは自ら命を絶っていた。なぜ自由の身になれるという日に死を選んだのか。独房の棚には本とテープレコーダーとカセットが2段になって並んでいた。強制収容所に関する書籍もあった。

 95年、ドイツの法律家でもあるベルンハルト・シュリンクの作品。アメリカでは200万部を超えるベストセラーになった。「愛を読むひと」のタイトルで08年に映画化され、ハンナをケイト・ウィンスレットが演じアカデミー主演女優賞を受賞した。アウシュビッツ強制収容所をミヒャルが訪ねるシーンがある。原題は『Der Vorleser』。訳本が中央図書館に、映画版DVDがLLライブラリーにある。

<右>『The reader』【LL, 778||RE, 2065642】
<中>『朗読者』(新潮クレスト・ブックス)【地階・3階, 943||SC, 0514023・0514188】
<左>『朗読者』(新潮文庫)【受入予定です】