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第13話 「アンネの日記」(2011年6月)

 新しい年度から共通教育で「アウシュビッツ 戦争と女性」という講義を始めている。新聞記者時代に七度訪れたアウシュビッツのことを若者に知ってもらいたいと思ったからだ。その1回目にアンネ・フランクを取り上げた。「アンネの日記」を読んだ。もう何度目になるだろう、緊迫感に満ちたアンネの青春は頭に入っているはずだった。

 でも違った。やはり発見がある。彼女は驚くほどの読書家だ。日記にはおびただしい本の名が出てくる。アムステルダムの隠れ家で息を潜めるアンネたちを支える人々が図書館から借りてきては届けてくれる。

 1944年4月6日、日記には「いつか公立図書館へ行って、山のような書物を片っ端から調べられる、そういう日のくるのが待ち遠しくてなりません」(『アンネの日記』)と残されている。彼女が生きていた時代からまだ60余年しかたっていない。ナチスによって絶滅収容所であるアウシュビッツに送られる恐怖に怯えながら図書館に思いを馳せる少女の存在に、心を揺さぶられる。図書館で過ごすことが夢であったという時代に生きていたのだ。1人の学生が言った。

 「あのホロコーストの時代、どこにも、誰にも空間がなかった。アンネの潜んだところも、絶滅収容所に向かう列車も、アウシュビッツの3段ベッドも死をかけた狭隘な空間でしかなかった。そんな中で望みは、死んでからも生き残ること、というアンネには本がどれだけ、その世界を広げてくれたか」
 広々とした閲覧室で、時空を超えた歴史にひたる、その夢は、果てのない空間への憧憬でもあった。彼女がアウシュビッツからドイツのベルゲン・ベルゼンに移送され、そこで泥まみれになって15歳の命を終えたことを私たちは知っている。だから愛おしくてならない。

 前日の4月5日の日記。

 「ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは死んでからもなお生きつづけること!その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!」(『アンネの日記』)

 このあと、ジャーナリストか作家になる夢を綴っている。同じ道を歩んだわたしには、アンネの夢を伝える責任がある。彼女が生きていれば82歳。図書館に降り注ぐ日差しの中で、ギリシャやローマ神話の書物を前に、穏やかな時間を過ごしているのだろうか。図書館で思いきり本を読みたいというアンネの言葉に多くの学生が共感してくれたのが嬉しかった。そして、今を生きていることに感謝している、とレポートに書いた学生もいた。

原題は『Het achterhuis : dagboekbrieven van 12 juni 1942 - 1 augustus 1944』。
邦訳本は中央図書館の地階と薬学分館の2階に、英訳本『The Diary of a Young Girl』はMM館保存書庫にある。

<左>『アンネの日記』増補新訂版【地階,薬学2階学習用図書,949.35||FR,2004166,1021729】
<右>『The Diary of a Young Girl』【MM館保存書庫,949.35||FR,0163323】