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第16話 「知覧からの手紙」(2011年9月)

 終戦から66年目の夏が過ぎてゆく。あの時代をひたむきに生きた若者の思いを受け止める学生たちがいる。建築学科の1年生もその1人である。「戦争と女性」という私の授業で、「戦争にかかわる映像や文学で印象に残っている作品について」という課題を出した。知覧特攻基地から出撃した穴澤利夫少尉が婚約者の孫田智恵子さんに送った手紙を選んだ。

 「初めてこの文章を読んだとき、鳥肌が立った。胸が締め付けられた。利夫さんは手紙の終わりに少し欲を言ってみたいと3つあげる。1つは読みたい本、2つは観たい絵、3つ目が智恵子さんだった。このレポートを書いているとき涙がこぼれそうになった。改めて手紙を読み返すと涙を抑えることができなかった。会いたい、話したい、愛し合っている2人がそれすら叶わなかった時代があったことを忘れてはいけないと、とても感じた」

 『知覧からの手紙』は智恵子さんとのインタビューで構成されている。昭和16年7月、智恵子さんは17歳で、将来は図書館で働く司書になりたいと思っていた。その頃、大きな図書館には「参考係」といわれる人がいて作品の解説をしたり目的の本が館内のどこにあるのかを教えたりしていた。その仕事に就くのが夢だった。そのため女学校を卒業すると文部省図書館講習所に入学した。唯一の国立図書館である東京・上野の帝国図書館の一角にあった。夏休みに東京高等歯科医学校(現在の東京医科歯科大学)の図書室で実習を受けることになり、ここで働いていた穴澤さんと出会う。

 中央大学の学生。福島の旧制中学を出て、同じ図書館講習所で1年学び、法律の勉強をするために大学に進んで学費の足しに図書室で働いていた。講習所の2年先輩で、19歳だった。

 穴澤さんは昭和18年10月、志願して特別操縦見習士官1期生として入隊した。死にゆく決意を秘め、相手を慮りながらの日々はたちまちに過ぎ、ようやく婚約したのは昭和20年3月のことである。そして、4月12日陸軍特別攻撃隊「振武隊」として知覧を飛び立ち、南の海に消えた。

 4日後の16日、遺書が届く。

 ――婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

 「あなたの幸を希う以外に何物もない」

 「いたずらに過去の小義にかかわるなかれ。あなたは過去に生きるのではない」

 「勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」

 「あなたは、今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。穴沢は現実の世界には、もう存在しない」

 ――今更、何を言うか、と自分でも考えるが、ちょっぴり慾を言ってみたい。

 1 読みたい本

   「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

 2 観たい画

   ラファエル「聖母子像」芳崖「慈母観音」

 3 智恵子 会いたい、話したい、無性に。

   今後は明るく朗らかに。

   自分も負けずに、朗らかに笑って往く

 『万葉集』は智恵子さんに送ってくれた。高村光太郎の『道程』も自分の本棚から取り出してくれた。三好達治の『一点鐘』は智恵子さんが届けたものである。あの時代、多くの若者がしたためた遺書に、本の名が残されている。迫りくる死を直前にしても、本を求める人々がいた。「無性に」という3文字に万感の思いがこもる。愛する人への純なる未練ではないかと智恵子さんは思った。若者が言葉を選び抜いて、自らの心を伝えようとした時代でもあった。

 2007年、新潮社刊。著者の水口文乃さんは昭和47年生まれのフリーの記者。前書きで智恵子さんの言葉に触れている。「私たちは戦争がいかに悲惨なものかを知っています。間違った事実が伝わらないように、今、話しておかないと、と思ったのです。あの時代を生きて、身をもって体験したことを語る人は、毎年少なくなっている。長く生かされていることに、何らかの使命が課せられているとしたら、それは語り部の役割かもしれませんね」

 中央図書館の地階にある。

『知覧からの手紙』(新潮社)【地階,916||MI,2060310】