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第21話 「人生図書館」(2012年2月)

 「微力だが無力ではない」。東日本大震災を考えるとき、世界の戦争に思いを馳せるときに、口にする。そう、決してあきらめてはいけない。被災地や戦場の報道や映像に涙したなら、それも微力なのかもわからない。大阪・ミナミのアメリカ村にあるマンションの1室。小さな、小さな図書館を訪ねたときにも、この言葉が浮かんできた。10畳ほどの和室。木の座卓に座布団。本が約130冊。それが「人生図書館」のすべてである。そのささやかな空間にも、人生がある。本がある。その本が微かだが、そして声高ではないが、確かに人の心を揺らし始める。

 まだできて1年余だ。その会社が所有しているマンションの1室が空いた。マネージャーである田中希代子さんは、本しかないと考えた。都心の喧騒。休息の場があってもいい。地域のためにもなる。会社も応じてくれた。ただ、限られたスぺースだ。冊数にも限度がある。田中さんは思案した。「人生図書館」と名付けよう。そして、それを読んで、つぎにはだれかに読んでもらいたい、そう思った人に寄贈してもらおう。
 案内の紙はお洒落なデザインで色はピンクにしよう。そこにはこう書いてみよう。

 誰かの気持ちと一緒に過ごしてきた一冊は
 きっとあなたの気持ちにも変化を与えてくれる
 例えば、勇気。例えば、元気。例えば、涙
 心がちょっと疲れたり、なにかちょっと迷ったら人生図書館へどうぞ
 誰かの「人生の一冊」が、あなたをお待ちしております

 どの本にも2つのポケットがついている。1つには贈ってくれた人の思い、もう1つには読んだ人の気持ち。それが重なり合って、初めてこの図書館の蔵書になる。だからジャンルがあるわけではない。小説もあれば哲学書も絵本もある。これまでの図書館のイメージが崩れる。デジタルで管理するほどの必要もない。ただ、たがいのメッセージが共鳴し、読者はそれに耳を傾けようとするから空気は和らぐ。その日は堺から2人の主婦が来ていた。読むだけなら、大きな図書館に行けばいい。でもその本にはメッセージは添えられていない。

 吉村昭さんの『漂流』は宝塚市の68歳の男性が贈ってくれた。会社が倒産、苦難の日々に出会った。無人島に漂着した船乗りが12年をかけて流木で船をこしらえて故郷に戻る物語だ。「へこたれたらあかん」。そう教えてもらったと書いている。武庫女のOGでもある遙洋子さんの『死にゆく者の礼儀』には、「介護する自分を責めないで」と書き込まれている。6歳の女の子が『いいから いいから』という長谷川義史さんの絵本を携えてきた。「このほんをよんで おともだちにやさしくできるようになったよ」と書いてくれた。大人からの感想が加わる。どの本からも、そんなやりとりが読める。1冊を通して、見ず知らずの人たちが会話をしている。

 平均すれば日に5人ほど、京都や奈良からも来る。繁華街に近いからショッピングに疲れて、畳に足を伸ばして本を手にする女性もいる。営業のサラリーマンが息抜きに顔を見せる。ポットには自由に飲めるお茶。田中さんは明るい、澄んだ声の持ち主である。人生図書館にふさわしい、前を向いている女性である。始めるときには自分のお金もためらいなく出した。仕事場は隣の部屋にある。来館者があると、元気よく駆け込んでくる。

 居心地のいい図書館である。

 大阪市中央区西心斎橋1−10−28の心斎橋Mビル404号室。06-6281-0555。午前9時から午後6時まで。土、日、祝日は休館。臨時に開くことも、休館のこともありHPで確認を。「人生図書館」ですぐ検索できる。