図書館司書が登場する映画は実に多い。「海猿」の海上保安官の比ではない。なぜだろう。これまで見た映像からのイメージはこうだ。まず女性である。聡明である。必ずカウンターで男性との出合いがある。暮らしはつつましい。自宅は豪邸ではない。厚化粧をしていない。芯の強さを感じさせる。独身である。結末はハッピーエンドが多い。知的な美しさがある。書架の本に伸びる手が綺麗だ。井上ひさしさんの「父と暮らせば」の宮沢りえさんも、この「スープ・オペラ」の坂井真紀さんも、そんな役柄だ。つまり、ヒロインの条件を満たしている職業なのだ、とは私流の解説である。
主人公の「るい」は小さいころから叔母の「とば」さん(加賀まりこ)に「スープさえあれば生きていけるの。元気がでるの」と言われて育ってきた。35歳になった今も、スープを作り続けている。
舞台になるのは、古いけど、味わいのある2階建ての家と主人公の勤め先である大学図書館。本とスープが、心優しい人々と物語を紡いでゆく。
「るい」が「問題もない、心配もない。奇跡の一日だわ」、そう言いながら大きく伸びをするところから始まる。反転、事件が起こる。母が死んだあと、「とば」さんは女手一つ、洋服の寸法直しをしながら育ててくれた。その「とば」さんが恋に落ちた。相手は北海道で無医村を巡回する若き医師だ。「いのちをかけた恋なのよ」といい残して、彼とともに北海道に旅立ってしまう。ひとりぼっちの「るい」。
月収は13万円だが、仕事には誇りを持っている。きょうもあすも、書架を巡り、カートを押して、本を配置する。変な図書館長の相手もしなくてはならない。「本は歳をとらない。人間はそうはいかないのだ」など館長が叫んでいる。すぐに占いを始める教授が「るい」の後を追う。学食ではお弁当を食べる。その小芋の煮つけが旨い、と友人が言う。職場にいれば、気分はまぎれる。しかし、家に戻ると、寂寥感がたまらない。
やがて、トニー(藤竜也)と呼ばれる初老の画家や、笑顔が取り柄の編集者(西島隆弘)も現れ、この家で同居を始める。不思議な生活。でもテーブルにはいつもスープがある。トニーはなにやら謎めいている。ここからの物語は端折っておく。想像できる展開だ。トニーはどうやら「るい」の父親らしい。妻が追いかけてくる。編集者も「るい」と結ばれるが、家を出てゆく。女性がそばにいなければ原稿が書けない作家が「るい」を求めて駆け込んでくる。にぎやかに人は動くが、その程度で大きな出来事は起こらない。図書館の仕事も変わらない。図書館長は変だし、教授も変なままである。
ふたたび1人ぼっちになった「るい」。疲れてテーブルに伏せて寝入る。夢をみる。家のそばにあり廃園になった小さな遊園地。キラキラと輝いている。そこに「るい」の仲間たちがそろっている。トニーはなぜかタキシード姿だ。顔なじみのお肉屋さんのおじさんやとなりのおばさん、見合いをした「ネズミ男」もいるではないか。夢の中で、「るい」は大声をあげる。「回れ 回れ」。メリーゴーランドが動き出す。乗っているのは幼い頃の「るい」だ。どの顔にも微笑がいっぱいだ。1人じゃないんだ。みんなと一緒に生きているのだ。これがフイナーレだ。目が覚めるとスープ鍋がコトコトと音を立てていた。スープのぬくもりが心にもしみ込んできたところで映画は終わる。
それにしても図書館の場面が何度も出てくるのは嬉しい。短気な教授は求める文献がないのに苛立って大きな声をあげる。応対の館長は「るい」に責任を転嫁しようとする。「るい」はきりりと書架の間を動き回る。フットワークがいい。ただ、司書でありながら、動いているだけ、というところが気になる。私が図書館という同じで空間で過ごしているからだろうか。司書のイメージにもう一つ加えなければならない。それは「誇りをもっている」である。
原作は阿川佐和子さんの同名小説。阿川さんはインタビューの名手として知られ、近著『聞く力』(文春新書)がベストセラーになっている。映画は2010年「スープの会」制作。監督は瀧本智行さん。
原作本は中央図書館1階現代女性作家コーナーにあり 【1階女性, 女性||アガ, 40013731】