中央図書館は地下1階から2階へと吹き抜けになっていて、その花崗岩の壁面には巨大なオブジェがある。深い赤の花びら。大きな楕円を描いている。アイリス。「天」で重なりあう花は「地」に至ると一輪へと変化する。造形作家、竹田康宏さんの「アイリス/めばえ花咲き」(1993年)である。図書館のシンボルだが最初に見る学生たちは、そのデザインに目を奪われる。艶を抑えた赤が、まわりの図書を引き立たせている。花言葉は「愛」「優しい心」「消息」「伝言」「吉報」「やわらかな知性」。竹田さんはこう添えている。「葉の、花の形の息吹が、ワタシの奥底に潜む<命の原形>と共鳴する。命の出づる前、何万年ものあいだ植物のふところに抱かれ、今、生きている。ワタシは数多くの命に育まれ、それらと共に在る」。
「アイリスへの手紙」という映画を見つけた。そのなかでも図書館が登場する。花言葉に、ふさわしい、優しく温かい物語。読み書きを出来ない男が、懸命に働く女性に惹かれるうちに、文字を学ぼうと決意をする。原題は「STANLEY & IRIS」。スタンリーをロバート・デ・ニーロが、アイリスをジェーン・フォンダが演じている。アカデミー主演男優賞、女優賞の大スターである。
スタンリーは製菓会社の従業員食堂でコックをしている。アイリスはその会社で、来る日も来る日も、ケーキに生クリームを乗せている。あれだけ愛した夫は病気で死んだ。子どもが2人。妹夫婦も抱え、苦しい生活が続く。どちらにも輝きを失った「中年」がにじみ出る。出会いはひったくり事件。アイリスが1週間の賃金を入れたバッグを奪われる。追いかけたが、逆襲される彼女を彼が救う。何度か会ううちに、アイリスは気づく。かれは読み書きができないと。
それが原因で職場を解雇され、父の死に目にも遇えない。ためらいを重ねながら、スタンリーは「読み書きを教えて欲しい」とアイリスに頼む。2人が向かったのは図書館だ。
子どもたちも本を読んでいるから公共図書館だろう。珍しそうに見回すスタンリー。受付に掲げられた文章を見上げる。「本ほど後世に残るものはなし」。書架に向かって2人の勉強が始まる。アイリスは聞く。
読みたいものは?
「新聞かな」
書きたいものは?
「小切手かな」
得意なことは?
「機械の発明かな」
アイリスの自宅でも学びは続く。なんどもあきらめそうになるが、そのたびに、励ましあう。いつしか2人は結ばれる。
再び図書館の場面。過去のスタンリーではない。次々と本を読んでゆく。それも誇らしげに声を上げて。難しい専門書も大丈夫だ。かたわらのアイリスも満ち足りた眼差しを注いでいる。まわりから「静かに、ここは図書館ですよ」という声が聞こえる。スタンリーは「わかっている、おれの図書館さ」と返す。
アイリスの娘が妊娠、出産をする。アイリスは若いおばあちゃんだ。その娘が同じ職場で働く。なにかと起こる周囲だが、アイリスのひたむきな生き方は変わらない。スタンリーのつくった「ケーキを冷ます機械」が新しいチャンスを生み出す。就職が決まってデトロイトに旅立つ。スタンリーは見送るアイリスに「電話するよ」と手を振るが、アイリスは「だめ、手紙書いて」と叫ぶ。手紙がくる。
「ありがとう。いまやこの頭が知識の湧き出る泉になった。愛を込めてスタンリー」
ある夜、買い物を抱きかかえて歩くアイリスのそばに高級車が近づいた。ビジネスマンらしい男。スタンリーだ。「デトロイトに家を見つけた。君たちの家だ」「昇進したよ」「クレジットカードも持てるようになった」。アイリスはいう。「それプロポーズ?」。
花言葉にあった「伝える」。この映画で何度も繰り返される主題なのだ。その手段を持たなかった男、伝えることが出来るようになった男が、手にしたサクセス。それを支えたアイリス。携帯やスマホやインターネットに浸っているわれわれに「読むこと」「書くこと」を教えてくれる。20年も前の映画なのに、今を見事に予想している。図書館がその役目を果たしてくれているのもうれしい。わが図書館のアイリスも、いつも、だれかを待っている。
1989年のアメリカ映画。監督はマーチン・リット。DVDはなくVHSのみ。原作はイギリスの作家、パット・バーカーで、1982年の作品。図書館のアイリスを制作した竹田康宏さんは文学1号館前で金色に輝くブロンズ「UNDER THE LEAVES」の制作も。