お知らせ

第29話 華氏451(2012年10月)

 奇妙な会話である。朝の通勤。消防隊員のモンターグは妻とそっくりな娘、メイと出会う。彼女は衿の徽章の数字「451」はどういう意味なの、と問う。
 ----華氏451度は本に火がついて燃え出す温度だ
 さらに聞く。
 「本当なの。昔、消防士は火を消すのが仕事で、本は焼かなかったとか」
 「なぜ本を焼くの」
 ----仕事だからさ。月曜日はヘンリー・ミラーを焼き、火曜日はトルストイ、金曜はフォークナー、土日はショーペンハウエルとサルトル。それを灰になるまで焼き尽くす
 「本が嫌いなの」
 ----本は人を不幸にする。民衆を動揺させ反社会分子をつくる
 近未来の世界。本の所持がわかると「消防隊」が出動し、火炎放射器で焼き払い、持ち主を逮捕する。隊のそばには密告をすすめるポストがある。だが、ラジオやテレビは許されている。当局がコントロールできるからだ。妻のリンダもテレビのあやしい番組に釘付けである。考える力も記憶する力も人々は失い、ただ穏やかに生きているだけになる。無表情な人の列が続く。映像は美しいのに、その不気味な気配が伝わってくる。突然の恐怖ではない。悲鳴があるわけでもない。それなのに、観る側の心にざらつきが膨らんでいく。
 テーマは「焚書」(ふんしょ)である。映画で描かれているような未来ではなく、つい70年ほど前にもナチス・ドイツや日本で言論や出版の自由を封圧するできごとが起きた。当然ながら重ね合わせて観る。授業で「戦争と女性」を担当。アウシュビッツ収容所を軸にあの時代を考えているから、一枚の写真が浮かんでくる。1933年5月10日、国家主義の学生たちがトーチを掲げながら行進し、反ナチスとされた25,000巻の書物を燃やしたのだ。炎に向かい、著者たちが次々と本を投げ入れる。本が宙を舞う、そんな写真である。古く言えば中国・秦の時代の始皇帝による「焚書坑儒」が知られているが、つねに「独裁」と背中合わせである。
 物語は展開する。
 モンターグは押収したチャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コッパフィールド』を焼かずに隠し持つ。読む。心が動く。メイに「夕べ本を読んだ」と告白する。そのこと自体、大きな危険をはらんでいるのに。出動のたびに掠める本が増えてゆく。妻に本を読んでいるところを見つかる。なじる妻に彼はいう。「僕の家族は本だ」。悩みながら出動を続ける。
 その現場はメイと親しい老婦人の家だった。おびただしい本が隠されていた。「これは秘密図書室ではないか」。隊長が叫んでいる。本の山にガソリンがまかれ、火が放たれる寸前、老婦人がその真ん中に傲然と立ち、自ら火をつけたマッチを落とす。微かな笑みを浮かべて炎に倒れる婦人。抗議の自死である。最後の言葉は「本は生きている」だった。その場面を夢に思い浮かべ寝返りを打つモンターグ。妻は「本とは暮らせない」と夫を密告する。挙動の変化は同僚たちにも気付かれる。退職を申し出たその日、出動させられたのは、我が家だった。自分が読んだ本に火を放ちながら、彼は火炎を隊長に向け、焼死させた後、逃走する。大がかりな捜索が展開される。
 彼はメイから教えられていた「本の人々が住む村」に向かった。そこで≪スタンダールの日記≫が迎え、村人を紹介してくれる。≪プラトンの共和国≫≪不思議の国のアリス≫≪サルトルのユダヤ人≫≪マキャベリの君主論≫≪高慢と偏見≫。会う人はすべて、その本を記憶している。≪バイロンの海賊≫≪嵐が丘≫≪ブラッドベリーの火星年代記≫。だれもが本の名前で呼ばれている。その数は50人。それぞれが本を暗唱している。ここでは人間が本だ。リーダーがいう。「本を守りたい一心で団結した。うわべは放浪者だが、ここの実態は図書館だよ」。メイとも再会できた。
 モンターグは一冊の本をポケットから取り出した。エドガー・アラン・ポーの『怪奇と幻想の物語』だ。彼の呼び名は、この作者と書名になる。早く覚えなくてはならない。記憶すれば、だれにも見つからない。だれも奪えない。小さな小屋では死の床にある男が甥にスティーブンソンの『ハーミストンのウエア』を語り継いでゆく。こうして本は時代を超えていく。初雪が降った日、男は死に、少年は完璧に憶えていた。雪の中、すべての村人が暗唱をしながら歩いている。そのなかにはポーを手にしているモンターグもいた。
 すごい映画である。

 1966年、イギリス映画。監督はフランソワ・トリュフォー。主演は同じトリュフォー監督の「突然炎のごとく」(61年)に出演したオスカー・ウェルナーと「ドクトル・ジバゴ」(65年)のジュリー・クリスティ(メイと妻の二役)。原作はレイ・ブラッドベリの『華氏451度』(原書名『Fahrenheit 451』)。
 トリュフォー監督は「文字」にこだわり、画面には、タイトルもスタッフ、キャストの名前もない。最初にナレーションだけで紹介されている。