勤めていた新聞社にも、資料室があった。図書はもちろんだが、その頃はまだ記事は切り抜きによる保存が主流で、気が遠くなるほどの数の紙袋に収められていた。そこでつぶす時間は楽しかった。一角に、大きなスペースで「死亡記事」コーナーがあった。亡くなった人物の記事が袋に分けられ五十音順で並んでいた。有名人の袋は何冊もあるが、そうでなければ袋に記事が2、3枚しかなかった。半世紀を超える資料は、セピア色に変色していたが、取り出すと、時代の匂いがした。そこを我々は「霊園」とか「モルグ」と呼んでいた。資料を探していると、あたりはなぜか不気味だった。この「モルグ」に死体があれば、どんな物語を紡がなくてはならないのだろう。つい考えてしまうのも社会部記者の性(さが)だった。三十年も前のことである。『図書館の死体』というタイトルはなぜか、そのときの記憶を呼び覚ました。
物語は、図書館で老女の撲殺死体が発見されるところから始まる。アメリカ・テキサス州の小さな町、ミラボーにある町立図書館。発見者は図書館長であるジョーダン・ポティート。前任者の急死で、生まれ故郷に舞い戻ってきた青年である。彼はアルツハイマー病の母を介護するために都会の出版社を辞めたのだ。殺されたのはD・H・ローレンスの作品をわいせつ本と決めつけ、口うるさく抗議に来ていた老女、ベータ。状況証拠はすべてジョーダンに不利だ。
この冒頭以降、図書館はほとんど登場しない。図書館長も、「名探偵」の役割が主で、本との関わりも出てこない。でも、面白いから読み進む。田舎の町の小さな図書館を巡る濃密な人間関係が浮き上がる。こんな町でも、名士を選んだ図書委員会が設置され、選書などの役割を果たしている。事件の発端もそこに潜む。
複雑な相関図と暴露されるスキャンダル。これでもかというほど押し寄せる。しかし、不思議と頭に入る。それはところどころで整理してくれるからだ。
「ベータに関する疑問」
@被害者、ベータはどうして図書館に関するリストを作ったのか Aなぜ珍しく黒ずくめの服を着ていたのか
Bここ数日雨も降らなかったのに、なぜ靴に泥がこびりついていたのか Cなぜ夜遅く、図書館に侵入したのか
このように、そこまでの「?」を列挙する。
「ベータのリスト」
タマ・ハフナゲル 牧師の妻、ハリー・シュナイダー 母さんのまたいとこの子、ボブ・ドン・ガーツ 自家用車および
ピック・アップトラックの販売を一手に引き受ける地元の車のディーラー
人物像もきちんとまとめてくれる。
「ベータの身に起こった出来事」(時系列)
2月 ベータは検閲論争に負けて図書委員会を降ろされる。後任としてボブ・ドン・ガーツが委員会の
メンバーになる
4月11日 ボブ・ドンのオフィスでルースがベータとボブ・ドンの激しい口論を目撃
4月13日朝 図書館でぼくと口論。一緒にいたのはタマ、ユーラ・メイ、ルース
4月13日夜 放火するため図書館へ。ひとりで行ったのか、それとも殺人犯と行ったのか。そして野球のバットで
撲殺される
事件を理解するのに大切な流れも詳述する。
それでも複雑に入り組んでいる。被害者が手にしていた8人のリスト。聖書からの引用が添えられている。容疑を掛けられているジョーダンが謎を追う。何の変哲もない町で、普通に暮らす人々の思いもかけない秘密が次々と明らかになるが、真相にはたどり着けない。事件後ようやく開館した図書館には、おなじみの老人しか来ない。しかし、その老人たちの記憶から物語は急展開する。真犯人に銃口を突き付けられたジョーダンと母を救ったのはボブ・ドン。実の父である。「いいや、この人はぼくのお父さんなんだ」と制止しようとする看護師に告げるジョーダン。ラストは父と子の和解。定番ではあるが、泣かせる。
図書館、館長、事件、殺人、殺人未遂、図書委員会、検閲、アルツハイマー病、不倫、宗教、教会、聖書、家族、地域、秘密、大麻、介護、教育、家族愛、隣人。これでもかというほどのキーワードが浮かんでは沈む。それでも一気に読めるのは、このミステリーが持つリズム感からだろう。
「図書館長ジョーダン・ポティート」シリーズには『図書館長の休暇』『図書館の美女』『図書館の親子』などがある。これだけ「図書館」とついていれば、また手を伸ばしそうだ。
アメリカの作家、ジェフ・アボットの作品(原著『Do Unto Others』1994年)。ハヤカワ文庫。佐藤耕士訳(1997年)。アボットはテキサス州ダラス生まれ。『図書館の死体』はアガサ・クリスティ賞最優秀処女長篇賞(1994年)、マカヴィティ賞新人賞(1995年)受賞。