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第34話 ロレンツォのオイル 命の詩(2013年3月)

 夫婦にとって、その図書館は「学び」や「研究」などという言葉とはほど遠い「命」をかけた凄絶な空間である。5歳になる一人息子のロレンツォは確実に死に向かっている。「ALD」(副腎白質ジストロフィー)は難病とされている。医師たちは「余命」を繰り返すだけだ。父と母ができること。それは息子を死の淵から引きもどすために戦うことである。治療のすべてを二人で見つけ出そうと考えた。医者でも研究者でもない。父は銀行員、母は主婦である。専門性の高い文献、資料。基本から学ばなくてはならない。時間は限られている。死が迫っている。父、オーグスト、母、ミケーラの表情は憑かれたように厳しい。1983年から始まるストーリー。二人が求める情報はまだほとんどが「紙」のなかにある時代だ。難解な文献を読み解いてゆく。自宅でもホワイトボードで図解しながら、解き明かそうとする。夫婦の意志は強い。とりわけミケーラは確固とした信念を持つ。ときには周りを辟易とさせる母性をぶつけてゆく。

 実話である。

 ロレンツォに奇行が目立ち始め、病院につれていくと副腎白質ジストロフィーと診断される。84年4月のことである。生まれたときから体内にある長鎖脂肪酸を分解する酵素を持っていない。蓄積すれば神経を隔離しているミエリンという鞘(さや)をむしばみ、むき出しにする。神経は動かなくなり脳の白質を傷つけ、肉体の機能を奪う。発症するのは五歳から十歳までの男児に限られ、女性の遺伝子からのみ受け継がれるという。

 ロレンツォの症状は進んでゆく。言葉が不自由になり、歩くことも困難になる。ALDの権威であるニコライス教授に相談する。食事療法を始めるが、長鎖脂肪酸は逆に上昇してしまう。免疫抑制治療も効果はない。患者・家族の会に参加するが、多くの親たちは絶望に打ちひしがれている。

 夫婦は決断する。「誰に頼るのではなく、自分たちで治療法をみつけよう」。国立衛生研究所の図書館がある。もう一度通ってみよう。そしてあらゆる文献を読み直す。きっと、そこにヒントがあるはずだ。オーグストが膨大な文献と再び戦い始めた。「つながっている脂肪酸についての資料はないか」と血走った目で司書に問う。やがて「ブタについて書かれたものがあったよ」というベティ。長い鎖の脂肪酸をイメージするために、クリップを延々と繋げるオーグスト、手伝って鎖をつくるシルビア。図書館全体が彼を応援する。ついに彼は、発見する。エルカ酸とオレイン酸を混合して与えることで、酵素を「十分な長鎖脂肪酸がある」と騙すのだ。十分なら、もう有害な脂肪酸を合成しない。そのプロセスを導き出したのである。ニコライス教授も絶賛するが、ネズミでの実験では心臓に影響が出たというエルカ酸の使用を拒んだ。

 エルカ酸は菜種油、オレイン酸はオリーブ油の主成分である。どちらも古くから食用に供されているではないか。夫婦の苦闘はまだ続く。仮説を実証しなくてはならない。100社を超える企業に問い合わせた。助け舟が現れ、ロンドンのサタビー博士にたどり着く。老博士は「素晴らしい研究です。もうすぐ引退しますが、ぜひ協力しましょう」と言ってくれる。抽出に成功。投与開始。ロレンツォはすでに視力を失い、ベッドに横たわって栄養も鼻から補給している状態である。夫婦で看病しているときに電話が鳴った。「数値が正常値になっている」という連絡だ。

 自力で呼吸ができるようになった。ミケーラはいつものように本を読み聞かせている。子供向けの本だ。気付いた。瞼で意志を表しているのではないか。「NO」で瞼を閉じる。「YES」では、目を開けたままなのだ。この本は「NO」、別の大人の本は「YES」。ロレンツォには感情がある。ラストは「脳に小指を動かすように命令して」という母の声に、かすかに小指を動かした。その指がアップになってゆく。発症から28か月が経過していた。

 「ロレンツォのオイル」は一種の栄養療法である。効果については賛否両論が起こったが、ニコライス博士(実名はモーザー教授)は両親を最後まで擁護、「発症予防や症状軽減には有効」と論文でも発表した。ミケーラは2000年6月死亡、ロレンツォも08年5月に30歳で亡くなった。患者、家族、医師たちの闘いは今も続いている。

 1992年のアメリカ映画。監督はジョージ・ミラー。オーグスト・オドーネをニック・ノルティ、ミケーラをスーザン・サランドン、ロレンツォをザック・オマリー・グリーンバーグが演じた。スーザン・サランドンは第68回(1995年)アカデミー賞主演女優賞を受賞した。