2013年11月30日、武庫川女子大で図書館の主催としては初めての上映会を開いた。映画は今年夏から東京で公開され、図書館を、本を愛する人たちに深い感動を与えている「疎開した40万冊の図書」である。わたしたちの図書館が大きな改装を終えたのを記念に、ぜひ関西で多くの人々に鑑賞をしてほしいという願いが実現した。監督の金高謙二さん、ナレーターを担当している俳優の長塚京三さんも駆けつけてくれた。観客は400人。大学や自治体などで図書館と関わる仕事をしている人、司書課程で学ぶ学生たちである。
今年4月、このコラムで『アリーヤさんの大作戦』という本を紹介した。イラク戦争のなか、バスラの図書館で主任司書をつとめる女性、アリーヤさんが戦火から約3万冊の本を守り抜いたというストーリーだった。その取材で、日本でも同じような物語があり、間もなく映画化されていることを知った。さっそく、金高監督に連絡を取った。大学での上映を快諾していただいた。
戦争秘話である。空襲が連夜のようにあった。都立日比谷図書館は当時としては最大の規模だった。疎開計画が立てられ、館員や都立一中(現・日比谷高校)の生徒たちが50キロ離れた奥多摩に運んだというのだ。まさに「大作戦」である。45年5月、日比谷図書館は焼夷弾によって全焼した。時間との戦いでもあった。間一髪、40万冊は救われた。
社会部記者時代に「戦争」をテーマに取材を続けた。いまは「アウシュビッツ 戦争と女性」という講義を担当している。知られざる「戦争」はまだいくつもあると思う。だが、その事実が明らかになるのは、語るべき人が存在しているからだ。現にこの映画で証言者として登場してくれた一中生は、最近亡くなったという。時間はない。金高監督に最初に聞いたのは「なぜ秘話になっていたのか。首都でこれだけ多くの人たちが関わった空前の大移動が、なぜ知られていなかったのか」ということだった。監督も同じだった。「なぜ埋もれていたのか。不思議だった」という。知らないことはたくさんある。知った時から一歩を踏み出せばいい。監督は行動に移した。映画ができるまでに3年かかった。
指揮をとった館長、中田邦造の存在が浮かび上がった。中田は44年、石川県立図書館長から転じた生粋のライブラリアンである。映像は中田の本にかける思いを資料や証言で追う。26万冊、まだ館内にとどまっている図書がある。これを疎開させよう。さらに、本は図書館にあるだけではない。民間で収集されている貴重な本が膨大な冊数で存在する。これも守らなくてはならない。古書鑑定家として知られている反町茂雄が加わった。「大漢和」の諸橋轍次博士らの蔵書を次々と買い上げた。
館の蔵書と合わせて約40万冊。移動は困難を極めた。空襲、壊滅的な交通網。車はもちろん人手も道具もない。一中と高輪商業(現・高輪商業高校)の生徒50人が動員された。だれもが空腹にさいなまれた時代であったが、10キロにもなるリュックサックをかついだり大八車を押したりして奥多摩に向かった。現在のあきる野市や埼玉県志木市。蔵のある家が応じてくれた。映像は、残る蔵やそのあとを淡々とたどる。ゆかりの人々の証言が続く。受け入れた人々がいなければ大作戦は成り立たない。なぜ、これほどの協力を得られたのだろうと思うが経緯はもはや定かではない。
疎開した図書は今、都立中央図書館の特別文庫室と千代田区立日比谷図書文化館の特別研究室で保管されている。「東京誌料」といわれる江戸・東京にまつわる貴重な図書などが含まれている。
映像にはイラクのアリーヤさん、福島県飯舘村に全国から寄せられた56,000冊の絵本にまつわる話、移動図書館で市民に寄り添う陸前高田市立図書館なども登場して、重層的に構築されている。証言者には作家の早乙女勝元さん、阿刀田高さんらも登場する。
決して声高ではないタッチが歴史と事実を伝えてくれる。金高監督は名監督、新藤兼人さんにおよそ20年間、師事したという。私も授業で取り上げている「さくら隊」が話題になった。広島で散華した移動劇団である。その映画「さくら隊散る」では新藤監督のもとで、助監督を務めた。改めて見ると、事実を丁寧に掬うことで、訴える力が強くなるという主張は、どこかで「疎開した40万冊の図書」に通じると感じた。
金高謙二監督は1955年、東京生まれ。主な作品に「ある同姓同名者からの手紙」「パーフェクト9〜ある障害者野球チームの記録〜」「風といのちの詩」など。書き下ろしの『疎開した40万冊の図書』は幻戯書房から出版されている。全国の被災した図書館と本の数などデータが豊富である。