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第42話 「風の電話」と「森の図書館」(2014年1月)

 1月11日午後、岩手県の釜石からタクシーで向かう。目的地は隣の大槌町にある「森の図書館」だ。運転手は無線で何度か問い合わせる。土の道をあがり、津波が押し寄せてきた浪板海岸を見下ろす高台に「森の図書館」があった。思っていたよりも寒くはない。木々は枯れている。石づくりの図書館。ちょうど主の佐々木格(いたる)さんが玄関を出たところだった。この日、取材にきていたテレビ局のディレクターを案内していた。眼差しは穏やかで、笑顔が優しい。3年かけて建てたという図書館の1階に案内してくれる。木の大きなテーブル。奥さんが入れた紅茶が美味しい。そのかすかな湯気を挟んで、佐々木さんに問いかける。68歳。こちらは3人。英語文化学科3回生の辰巳由貴さんと情報メディア学科3回生、佐藤麻衣さんが一緒だ。2人は「マスコミ塾」で私とともに、メディアの世界を学んでいる。佐々木さんの話が始まった。

 「森の図書館」が誕生したのは2012年4月だが、そのきっかけは庭に置いた電話ボックスであるという。1988年、釜石のシンボルであった製鉄会社の高炉の火が消え、佐々木さんは新規事業の会社に転じる。そこで11年、工場長になるが、夢を実現するために早期退職をして、この高台に土地を買い、家を建てた。庭づくりが楽しくて仕方なかった。庭師の仕事もしながら、はじめは1500平方メートルだった土地を買い増して4000平方メートルまでに広げた。「この景観、環境を生かして人の役に立てないか」と考える日々が続いていた。緑の屋根にガラス張り、柱や格子を白く塗った電話ボックスを置いてみた。譲り受けたもので、もちろん電話線はつながっていない。本格的な作業は春にしようと思ったその3月に津波が襲った。大槌町だけで1200人を超える死者・不明者があった。人口の8.1%にのぼった。

 津波の時刻、多くの家族はそれぞれの場所で被害に遭っている。最期がわからない。話したかったことがあるに違いない。聞きたいことがあったのに違いない。そう、この電話で、亡くなった人たちに思いを届けることはできないだろうか。風が声を運んでくれないだろうか。佐々木さんは決心した。花や木を周りに植えた。そして、黒く古い電話機のそばにこう書いた。

 「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら あなたの想いを伝えてください」

 全国紙が記事にしてくれた。まだ電話が復旧していなかったころである。ネットを通じてすこしずつ広がっていった。ある作家は「心のインフラ」と言ってくれた。目に見えないもの、耳に聞こえないものはたくさんある。だから、繋がっていなくても伝えられる言葉はいっぱいある。

 私たちが訪れた日、3人が電話機を取った。2年半ぶりという女性もいた。そこには思いのこもるノートがあった。

 「まごちゃんが3人になったよ かあさんにおふろに入れてもらいたかったよ かあさんのありがたみ今すごくわかるよ また会いたくなったら ここにくるね」。電話に語りかける、その人の表情が浮かんでくる。亡き母へのメッセージである。「まごちゃん」。母は目を細めて、そう呼んでいたのだろう。

 ページをめくっていた2人の学生が泣いていた。冷たい風が吹き始めたが、ボックスの中には、かすかな温もりがあった。

 佐々木さんはもう一歩を踏み出した。「学校も図書館も幼稚園も本屋さんもみな流されました。スクールバスで遠い学校に通学する子供たちの目に映るのは荒涼たる景色だけなのです」。本を読ませたい。奥さんは幼稚園教諭の経験もある。厳しい世界のなかでも、心の豊かな子供に育ってほしいと「森の図書館」と名付けた空間をつくった。小さな子供たちのための本が今、4000冊。外で、芝生に寝転んで読んでもかまわない。広大な敷地と緑の木々。いつか森になるだろう。

 あっという間に2時間近くなった。佐々木さんの夢を確かめるためにも再訪したいと思った。「風の電話」と「森の図書館」。2つの言葉は、いつまでも3人の心で響いていた。

 所在地は岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里9−36−9.電話番号0193−44−2544。ご夫婦で運営している図書館なので、営業時間は10時から15時まで。事前に予約が必要。HPはhttp://www4.plala.or.jp/bell-gardia/