お知らせ

第45話 「星々の悲しみ」(2014年5月)

 4月29日、読売新聞の「気流」という欄で、こんな投稿を読んだ。

 「大学受験が一段落した昨年末から本を読むようになった。図書館に行く目的も勉強から読書に変わり、何年かぶりに本を借りた。本を読み進むうち、難しい漢字や意味の分からない言葉が目につくようになった。辞書を引くなどして読んでいく。苦労があれば読書後の達成感も大きい。読み手から書き手になりたいと思うようになった。生まれて初めて持った将来の夢。作家になることを念じながら今日も本を読んでいる」。18歳。兵庫県の大学生である。嬉しくなる。かすかに記憶の回路がざわついている。思い出せない。あのころすでに新聞記者になろうという決意だけは固めていた。作家ではない。

 数日すると、漠としていたものがかたちになって現れた。スマートフォンで検索してみると、はたして宮本輝さんの『星々の悲しみ』であった。急いでamazonから注文をした。すべて電車のなかの作業である。これがなければたどりつけないままであった。読み始めてみると、主人公は予備校生。大阪府立中之島図書館に通っている。ドーム屋根と窓枠の緑青。同じ頃、私もあの図書館に何時間も座っていた。

 大学生の投書と『星々の悲しみ』と私の18歳。繋がった。新聞記者の性(さが)でもある。こういう邂逅に妙にはしゃいでしまう。それにしても宮本さんの作品に登場する若者たちは、不器用だけれど、どうしてこんなに颯爽としているのだろう。なぜ、いまの若者たちと、かくも異なるのだろうか。たかだか半世紀前のことではないか。そう思いながら、文春文庫で60ページほどの短編に目を落とした。

 「その年、僕は162篇の小説を読んだ。18歳だったから、1965年のことだ」で始まる。大学受験に失敗し、大阪・梅田の予備校に入ったが、勉強には一向に身が入らず中之島の図書館に向かう。綺麗な女子大生に心ときめかし、彼女とのやりとりがあって、「ことし中に、あそこにある本を全部読むんですから」と指差してしまう。フランス文学とロシア文学のコーナー。ざっと300冊はある。毎日、図書館に行く。同じ場所に座る。8日目に『ツルゲーネフ全集』を読み終える。

 同じ予備校に通う有吉と草間と知り合い、馴染みの喫茶店「じゃこう」に入る。1枚の絵が飾られている。100号。「2年前にも、ぼくはこの絵に長いこと見入ったものだったが、久しぶりに目にして、当時は感じなかったある不思議な切なさが、その明るい色調の底に沈んでいることを知った」。小さな紙には「星々の悲しみ 嶋崎久雄 1960年没 享年20」とあった。少年が大きな木の下で、麦わら帽子を顔に載せ両手を腹のところに置いて眠りこんでいる。大木の傍らに自転車があり、初夏の昼下がりらしい。なぜ「星々の悲しみ」なのだろう。いたずら心が起きた。3人は盗み出し、「ぼく」の部屋に持ち運んだ。

 受験勉強が進むはずはない。プーシキンやモリエール。読んだ本の数だけが増えていた。女子大生にも会えない。夜空の星を見たくなった。「勇」に頼んで天体望遠鏡を物干し台に置いてもらった。時間を忘れて望遠鏡にしがみついた。「勇に教えてもらった白鳥座の周辺を見つめ、広大な十字形の上に鳥の姿を思い描きながら、ぼくはちっぽけな地球の一角で饅頭を作っている勇のことを思い、しあわせな眠りにおちているだろう妹のことを思った。さらには、ネオ・ルネッサンス風の、年代物の図書館の書架に眠るまだ読んでいない無数の小説のひとつひとつが、ぼくの視界の及ばないところでひそんでいる星々のきらめきと同じものに思えてきたのだった」

 初めて絵を見たとき「20歳で死んでしもうたんか・・・」と言った有吉が19歳で、がんで死んだ。見舞いのとき彼が笑いながらもらした「またな」という言葉が離れない。新聞に小さく、絵の盗難が報じられた。事件というよりも、街の話題という扱いだったが、「ぼく」は妹の助けを借りて、自転車の荷台に積んで喫茶店の昇り口に置くと全速力で逃げ去った。冬の早朝であった。

 この短編がなにを語りかけるのか。記憶の底にある、梅田新道や図書館のあたり、環状線の福島に近い商店街などの佇まいが蘇った。それだけでも充分であった。作者が描く「街」には必ず、「匂い」がある。嗅ぎたかった。本を読むこと、満天の星を見つめること。それが若さだと思う。もちろん生もあり、死もある。

 投書の主である彼は作家になってくれるのだろうか。あなたには若さがある。時間がある。

宮本輝さん。1947年生まれ。追手門学院大卒。77年『泥の河』で太宰治賞、翌年『螢川』芥川賞、87年には『優駿』で吉川英治文学賞を受賞。『青が散る』は大学を舞台にした青春小説(82年)。大学の一期生で、附属図書館には「宮本輝ミュージアム」が開設されている。

               <初出『別冊小説新潮』1980年秋季号>