伊坂幸太郎さんの作品に『死神の精度』という小説がある。その一節で、死神がこう語っている。
――私たち仲間は、仕事の合間に時間ができると、CDショップの試聴をしていることが多い。一心不乱にヘッドフォンを耳に当て、ちっとも立ち去ろうとしない客がいたら、それは私か、私の同僚だろう。以前機会があって映画を観たのだが、そこでは『天使は図書館に集まる』と描かれていた。なるほど、彼らは図書館なのか。私たちはCDショップだ。
その映画の1つが『シティ・オブ・エンジェル』だろう。舞台のロサンゼルスは、天使たちが舞うにふさわしい街である。天使は図書館に集う。この映画は『ベルリン・天使の詩』のハリウッドリメイク版である。当然、こちらも天使は図書館にいる。なぜなのか。『死神の精度』に誘われて、この2作を続けて観てみた。
映画の質は全く違う。というより比較すべきものではない。どちらも面白い。
「天使の詩」はまるで、詩の朗読を聞くように低い声で、天使とブランコ乗りの女の恋を語る。戦時中の実写フイルムを挿入、ナチス・ドイツ時代をよみがえらせながら映像を仕上げている。カメラは天使の目線になって俯瞰する。教会のてっぺんについた天使像に腰を掛ける彼ら。「シティ」のほうも、天使と女性医師とのラブストーリーだが、筋書はいたってシンプルである。こちらはロスの高層ビルの屋上から街を見下ろす。
「シティ」を取り上げてみる。天使セスは生と死が日常にある大病院にいる。その日も1人の患者が死んで、天使のもとへやってきた。執刀した心臓外科医のマギーはショックを受けている。その表情にセスは淡い恋心を抱く。大人には天使の姿は見えない。患者を救えなかったことを苦しむマギーの枕元に1冊の本。セスが図書館で見つけたヘミングウェイの『移動祝祭日』である。ヘミングウェイが慈しみを込めてパリ時代を描いたエッセイである。「食」の味わい深い文章も多い。この1冊がマギーを勇気付ける。セスに会いたい。図書館のカウンターに借り出した人物を教えてほしいと駆け込む。もちろん許されない。マギーはヘミングウェイのコーナーに立っていればきっと彼は現れると思う。セスはやはりここにいた。撮影されたのはサンフランシスコ公共図書館である。重厚な外観。5階までが円錐形で吹き抜けになっている。人々が図書館で本を読みながら、空想すること、つぶやくことすべてが、さんざめくように天使たちの耳に届く。セスは初めてマギーの手を握る。彼女は確かに、その手にときめきを感じる。
彼が天使であることはAすでに知っている。前夜、マギーのキッチンで野菜を切ったとき、包丁が指に触れたのに血が出ないのだ。セスはいう。「君に恋をしたから」。そして、姿を見せたともいう。混乱したマギーはセスを追い出すが、たまらなく会いたくなって翌日、図書館にやってきたのだった。天使と人間の苦しい恋。その行方を大勢の天使たちが回廊に立って見つめている。
人間になって、彼女の髪に触れてみたい。セスは決心をした。永遠を保証されている命を、限りある人間の命に変える。平和で美しい世界から汚辱の人間の世界に帰る。そのヒントをくれたのはマギーの患者の1人だった。彼が元天使だったのだ。高いところから落ちる。そして目覚めれば人間だ、という彼の話を聞いていたからセスはマギーのために天使を捨てようと思う。高層ビルから飛び降りた。傷の血が赤い。舐めると、血の味がする。人間になったのだ。
湖畔の別荘にいるマギーを探し当てたセスはその夜、初めて結ばれる。めくるめくような時間。永遠を捨てて得た「ぬくもり」だった。次の日、マギーは自転車で買い物に出る。シャワーを浴びながら、彼女を待つセス。そのときに異変を感じた。駆ける。マギーは帰り道、木材運搬車に衝突した。セスに抱きかかえられ「私の人生で一番好きなのはあなたよ」と微笑んで天使とともに旅立つ。セスは、訪ねてきた天使のカシエルに語る。「たとえ一瞬だったけど、人の柔らかさに酔った。永遠の命に未練はない」と地上で生きてゆくことを誓うのだった。
「天使の詩」では天使と彼女は新しい人生を歩んでゆくが、こちらは違う。「永遠の命」と「死」が重なる。予定調和のサンプルみたいな映画だが、面白い。図書館も大きな役割を果たしている。あらためて思う。「天使はなぜ図書館が好きなのか」。図書館の歴史は教会から始まることが多い。天使にとって仮の宿にするのは最適なのだろう。天使は勉強が好きである。本を読む人たちの頭の中まで知ることができる。学んでおかないと、人々と会話もできない。図書館には、人々の喜怒哀楽が凝縮している。それを耳にしていなければ天国に案内もできない。きっと「天使」という仕事を果たすためには、人間の想念が渦巻く図書館が必要なのだろう。「死神」よりは歓迎したくなる。
『シティ・オブ・エンジェル』は1998年のアメリカ映画。主演はニコラス・ケイジ、メグ・ライアン。監督はブラッド・シルバーリング。『ベルリン・天使の詩』はドイツ・フランスの合作。1987年公開。翌々年の11月、ベルリンの壁は崩壊した。映像でも「壁」が象徴的に登場している。主演は名優、ブルーノ・ガンツ。