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第50話 「パッチ・アダムス」(2014年12月)

 

 2014年8月12日の夕刊に彼の訃報は掲載された。そのニュースに図書館の女性スタッフの1人が「ロビン・ウィリアムズは私が最も好きな俳優でした」と涙を流しそうになりながらいう。『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』『グッドモーニング, ベトナム』『いまを生きる』『ミセス・ダウト』。彼のイメージは焼き付いている。いつも「いのち」がテーマに見え隠れする作品が多かった。「いのち」という言葉に、彼の演技が自然と重なっていく。夕刊には「自殺か」とあった。なぜ彼が自らいのちを断たなくてはならなかったのか。衝撃でもあった。

 ずっと気になっていた。『パッチ・アダムス』という作品では図書館が描かれていたはずだ。このシリーズに登場させなくてはならないと思いながらも『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』というホロコーストを描いた作品を先に見てしまった。彼はこのラストで銃殺される。『パッチ・アダムス』では愛する女性を喪うが、彼自身は医者として生きてゆく。

 図書館の場面は2分弱である。パッチが通うバージニア医科大学の図書館。重厚な造り。柱は大理石。四角の細長いテーブルを5人の医学生が囲んで勉強会を開こうとしている。そのなかには後に愛し合うことになるカリンもいる。名門医大は成績が全てである。それがだめなら卒業はできない、医者になれない。パッチは最年長である。彼は自殺癖があり自ら入院。そこで医療に笑いやユーモアが必要であることを実感した。その夢を実現させたいと2年後に医大に入学したのだ。成績は常にトップである。この5人のうち1人は卒業できない。

 勉強会は、「舌の異常」「原因は脳神経」「10本の神経」「いや12本目だ」などと始まる。パッチはカリンに「なぜ医者になるの」と尋ねる。カリンは「いま勉強の時間でしょう」と取り合わない。会話は医師になるための知識の吸収に流れていく。パッチが再び問いかける。「なぜ患者は名前でなく、『あのガン患者』というふうに呼ばれるのか」。カリンが答える。「感情移入を避けるためよ」。「それがなぜ悪い」「患者のことを親身に思う医者がなぜ悪い」。議論はまったくかみ合わない。カリンはたまりかねて「時間の無駄」といって図書館を去る。

 パッチが、自らの言葉通りの病院を作ったときに、真っ先に駆け付けたのは、図書館で共にしたカリンら4人である。この出会いが物語で大きな役割を担っている。そして、その病院が目指す「患者のために」というキーワードは図書館から生まれている。

 小児病室の子どもたちはパッチの道化に大喜びだ。寝ているだけの子どもたちが笑い、動きoす。パッチのトレードマークとなったピエロの赤い鼻。そのおもちゃを付けてはしゃいでいる。病室に笑顔が満ちる。余命わずかな男のところには天使の姿でやってくる。「死」という言葉で遊ぶ。患者が「おっ死ぬ」「昇天する」「一巻の終わり」「ぽっくり」「ぽしゃる」。延々と続く「死」をめぐる言葉。男の表情が和らぐ。「死」を受容しようとしている。「死ぬまでにもう1度サファリを」と願う患者には、風船で動物をつくり夜の病室に押し掛ける。患者におもちゃのピストルで風船を撃たせる。彼に笑顔が蘇る。「死を遅らせるのではない。質の高い生活を送らせること」。パッチはまさに「道化」となって、患者たちを和ませる。

 パッチはまだ医者ではない。患者や看護師に人気はあっても、管理主義者の学部長が許すはずはない。病院への立ち入りを禁じられる。だが成績はいつもトップ。そのために産婦人科医による学会を歓迎する委員会の責任者となったが、女性の両脚をイメージする張りぼてをこしらえ、その間を通って会場に入る仕掛けを作った。学部長は激怒し、退校処分にしようとするが、学長がなんとか収めてくれる。

 パッチの夢はひそかに実現してゆく。入院時代に知り合った男性が広大な土地と山小屋を貸してくれる。小さな病院が生まれた。カリンの心は次第に解け、2人は愛し合うようになって、新しい病院の運営に参加する。だれでも無料で診察する「お元気クリニック」だ。訪れる患者が増えてゆく。その1人の男にカリンが呼び出され、銃で殺される。パッチは深い悲しみと責任に苛まれる。この病院に誘わなければ彼女が死ぬことはなかったのだ。夢を断念しようと決め、建設予定地を見下ろす丘に立ってカリンに別れを告げる。そのときチョウが1羽舞いはじめ胸に留まってから指に移った。カリンだ。カリンだ。あきらめないでと言っている。パッチは失意から立ち直った。

 学部長はついに強硬手段に出た。医師免許がないのに診察したという理由での放校処分だ。パッチは、図書館での勉強仲間にも支えられ戦うことを決意する。

 処分を決める委員会。委員はすべて医者だ。パッチは訴える。「医者になる前に人間になりたい」「苦しみ助けを求めてきた人にドアを開けてはいけないのか」「病気と闘う場で1番の敵は無関心です」。そして「共に笑い、共に泣いた彼らと一緒に生きたい」と目を潤ませて訴える。パッチの言葉が染みわたる。結論が出た。「卒業させない理由はない。君の掲げるたいまつの火が医学界に広がって欲しい」。医学生たちがスタンディングオベーションで彼と彼の言葉を称えた。

 実話である。

 映画『パッチ・アダムス』は1998年のアメリカ映画。パッチ・アダムスの本名はハンター・キャンベル・アダムス。1945年生まれの実在の医者である。1971年、バージニア医科大を卒業、ウエストバージニア州で、彼が目指す医療を無料で受けられる病院「ゲズントハイト・インスティテュート」を設立した。