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第51話 「図書館ねこデューイ」(2015年1月)

 

 そのネコは正しくは「Dewey・Readmore・Books」という。図書館と関わる人なら、きっとわかる。Deweyは書籍を分類する十進分類法を考案したアメリカのメルヴィル・デューイにちなんでいる。そのあとは「本をもっと読みなさい」ということになる。ネコにしては、いささか大仰な名前だが、図書館で18年間も暮らしていたのだから、もっともふさわしい名ともいえる。

 アメリカ中西部のアイオワ州。その中心でもあるスペンサーの公共図書館に彼が現れたのは1988年1月18日だった。気温は零下15度。時間外返却ボックスから物音がした。気づいたのは館長のヴィッキー・マイロンである。本を慎重に取り除くと、ガタガタと震える、やせ細った子ネコがいた。急いでお湯につけ、ドライヤーで乾かすとようやく震えは止まった。20分後、ヴィッキーの頭にはアイデアが浮かんでいた。魅力的な図書館づくり。その計画に、このオスの子ネコを参加させることだった。

 このコラムの49話では「読書介助犬オリビア」を登場させたが、今度はネコの出番である。イヌでもネコでも、アメリカの図書館は新しい挑戦に躊躇わない。それに驚く。

 関門はあった。まず理事会。メンバーの1人、メアリーはデューイを抱いたとたん「1日じゅうでも抱っこしていたいわ」と話し、もうひとりのマイクと妻はたちまち彼のハンサムぶりに魅了され、「すばらしいアイディアですね」と言ってくれた。1週間後、地元紙の『スペンサー・デイリー・レポーター』は「スペンサー図書館にすてきニャ新入り」の見出しで、紙面の半分をさいていた。さらなるハードルは猫アレルギー。医師のチェックを受けると、館全体が高さ1.2メートルの書架の列で仕切られた広々とした開放スペースだったので、抜け毛が溜まらない。最適な空間だと、保証してくれた。ヴィッキーは「GO」を決心した。それは図書館のことだけを考えたからではない。スペンサーという町全体に、新しい風を吹き込んでみたかったからである。

 トウモロコシの生産で知られる、この一帯は農業危機の嵐に見舞われていた。大手のバター工場が閉鎖、たちまち失業率10%になり、人口は2、3年で11,000人から8,000人に減少、家の価格は一夜にして25%も下落した。スペンサーは瀕死の町であった。デューイも同じように命の危険にさらされながらも、生き延びた。そして今、最高の場所で役割を果たそうとしている。だれの目にもそう映る。だから町の人々に勇気を与えた。

 仕事探しの情報を得ようと図書館にくる男。丸い背中にストレスを感じさせる。ヴィッキーはある日、デューイが男の膝に座っているフを見た。男は笑顔を見せていた。まだ悲しい目だったが笑みがあった。クリスタルは11歳の美しい女の子だった。重い障害をもっている。図書館には車椅子でやってくる。その前にはトイレがついている。デューイが飛び乗った。彼女は金切り声を上げた。それは図書館の人たちが聞く初めての声だった。クリスタルの顔は輝いた。デューイは彼女のコートの中で、ただじっとしていた。ハンサムで人懐こい。会えば必ず抱きたくなる。小さな町で、彼はヒーローになってゆく。

 職員に登用され、仕事の担当も決められた。「人々のストレスを癒す」「毎朝9時に入口に立ち、利用者を出迎える」「広報活動に携わる」など8つの業務が与えられた。新聞、雑誌、映画、テレビとあらゆるメディアに登場し、愛嬌を振りまいた。日本からのテレビ取材にも応じた。

 さながら和歌山電鐵貴志川線の「たま駅長」のようである。「たま」に逢いたくて電車に乗る。駅長の写真入り記念切符が売れる。貴志駅の売店に「たまショップ」が誕生する。就任1年で乗客が17%増、経済波及効果は11億円とされたが、デューイは不況に苦しむ町を救おうとする。入館者は増え、荒んだ人々の心は図書館で和んでいった。なにしろメディアが次々に取り上げるから、図書館の知名度は全米でも有数になった。不況の町で唯一の明るく、誇らしい話題だった。

 デューイは図書館長のヴィッキーにとっても、いなくてはならない仲間になった。ヴィッキーの人生も苦難に満ちていた。若い頃の大手術、結婚した男はアルコール依存症で離婚、娘を育てながら大学を出て32歳で図書館に就職した。図書館を活性化するためには、と考え続ける日々。目の前にいる利発で魅力のある彼にどれだけ励まされたか。デューイと館長によって紡がれる物語は、一層の感動を呼び起こす。人々に「生きる力」を与える。

 2003年、NHKから2枚のDVDが届いた。取材があったドキュメンタリーの映像だ。大画面テレビの前は人でいっぱいだった。多くの猫が登場する。固唾を呑んで見つめる市民は「早送り!」と叫んでいる。その瞬間、図書館に叫び声があがった。デューイがいた。ナレーターが日本語で「アメリカ、アイオワ州、スペンサー」と言った。また大歓声。そして数秒後に聞こえた「デューイ・リードモア・ブックス」。書架に座るデューイ、テーブルの下で男の子になでてもらっているデューイ。歓声が弾けた。最後にナレーターはこう伝えた。「アメリカ、アイオワ州、スペンサー」。その日本のドキュメンタリーをスペンサーの町は決して忘れないだろう。

 2006年11月、デューイは腹部の腫瘍のため、ヴィッキーに抱かれて安楽死した。その日、CBSなどのニュースで一斉に報じられ、数日間に死亡記事は270以上の新聞に掲載されたという。

    

 『図書館ねこデューイ』のサブタイトルは「町を幸せにしたトラねこの物語」。ヴィッキー・マイロンさんは1948年、アイオワ州スペンサー生まれ。34歳から5年間は副館長、その後20年間は館長を務めた。訳は羽田詩津子さん。早川書房刊