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第58話 「ハーレムの闘う本屋 : ルイス・ミショーの生涯」(2016年1月)

 

 2016年元旦、朝日新聞の国際面に、その記事はあった。読み進むにつれ、情景が浮かび、心に染みた。「世界はうたう」という連載の初回。「オバマが歌ったゆるす心 黒人射殺事件追悼式 差別の苦難越える強さを」。見出しである。少し引用したい。

 「かつて奴隷取引の拠点だった米南部サウスカロライナ州チャールストン。ここで昨年6月、白人至上主義の男に射殺された牧師ら黒人9人の追悼式があった。
 大勢の参列者を前に、黒のスーツに身を包んだオバマ大統領が壇上に立った。
 力強く進んでいたスピーチが、突然止まった。
 沈黙が10秒ほど続いた。
 犠牲者の同僚であるロニー・ブレイルスフォード牧師(57)が前方をうかがうと、オバマ氏は5メートルほど先の演台で下を向いていた。
 『何を言おうとしているのかな』。そう思った直後、オバマ氏は伴奏なしで歌い始めた。
 
  アメージング・グレース
  なんと甘美な響き
  人でなしの私を救って下さった

 
 たちまち総立ちの大合唱に。天を見上げ、涙を流す人もいた。ふだん冷静に振る舞う大統領が、この日は犠牲者一人ひとりの名を、叫ぶように読み上げた。」

 この事件は知っていた。しかし、オバマ大統領が、人の心を揺さぶるスピーチをしたことを初めて読んだ。映像はYouTubeにあった。記事の通りの光景。大国のリーダーが演説で歌をうたう。稀有なシーンである。歴史に残るスピーチは数多い。ドイツのヴァイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」、ケネディ大統領の就任演説、キング牧師の「I Have a Dream」そしてマララ・ユスフザイさんの国連演説などが浮かんでくる。でもそれはスピーチそのものであり、「歌」はない。犠牲者9人の名を呼ぶときは絶叫に近かった。「情念」の演説であると思った。

 新聞記事の内容をLINEで学生たちと図書館スタッフに送信した。

 「びっくりです。この記事、私も泣きながら読みました。購入したまま積読していた本たちの中に『ハーレムの闘う本屋』という、黒人に関する本だけを扱う書店の話があり、昨日から一気読みしました。著者は主人公の弟の孫で、職業が図書館司書です。黒人たちは自分たちの歴史を知らない、彼らは本を読まねばならない、との思いから、黒人のために黒人が書いた本を売る本屋を始めました。マルコムXやルイ・アームストロング、ラングストン・ヒューズなど錚々たる面々が登場します。アメージング・グレースの記事とともに、満足のゆく読み初めができました」

 返信をくれたのは川崎安子図書課長である。こうして『ハーレムの闘う本屋』と巡り合った。

 ルイス・ミショーがニューヨークのハーレムに本屋を開いたのは1939年である。「黒人に関する本だけを扱う書店」。ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアと名付けられた。たった5冊から始まり、「ミショーの店」と親しまれ、22万冊を持つ書店にまで育てる35年間を中心に彼の一生を描いている。著者、ヴォーンダ・ミショー・ネルソンによる物語は、司書らしく詳細で綿密な調査によって見事に構築されている。家族、友人はもちろん銀行家、新聞記者や「露天商」「やくざ者」まで深い人脈をたどり、新聞や本を丹念に追いかけている。生い立ちから死まで、「年」と「証言」で読みやすく、わかりやすく紹介してゆく。権力に屈せず、差別にも偏見にも負けることのなかった彼に対する尊敬の念がにじみ出ている。それは言葉の選択からわかる。

 「1939年 ルイス、44歳」
 「わたしが言っているのは、どこの本屋でも売っているような本のことではない。黒人のために、黒人が書いた、アメリカだけでなく世界中の黒人について書かれている本だ。『いわゆるニグロ』たちは、世の黒人男女が発する声を聞き、学ぶ必要がある。
 この事務所は本屋にうってつけだ。『わたしの』本屋に。」
 「1968年 ルイス、72歳」
 「人は、時に、押しやられることがある。あまりに強く、あまりに激しく。
 軽んじられ、拒まれてきた者たちが、認められ、敬われるようになるまでは、平和なんて、どこにも訪れはしない!切りたおされている時に、だまって立っているのは樹木だけだ。」

 強い力を持つ言葉が綴られる。しかし、彼は決して頑迷ではない。

 「1976年 ルイス、81歳
 「どうやら、この病院がわたしの最後の住所になりそうだ。(中略)わたしの人生は、決して水晶の階段じゃなかった。でも、少しは胸を張って旅立っていける。黒人相手に本なんて絶対売れないと言ってた連中をぎゃふんと言わせてやったことを思うと、まんざら悪い気はしない。わたしのまいた種は、ずいぶんりっぱに育ってくれたと思う。書店業のことだけを言ってるんじゃない。同じ黒人たちを前にむかって歩かせるという、もっと大事な仕事ができたこと、そこにこそ意味がある。」    

 今年最初に読んだ本は「闘う」という言葉の意味を、「アメージング・グレース」のメロディにまとわりつくように届けてくれた。

   

 『ハーレムの闘う本屋 : ルイス・ミショーの生涯』は「あすなろ書房」刊。訳者は原田勝さん。A4版のハードカバー。アメリカでは「ヤングアダルト」対象になっている。2012年のボストングローブ・ホーンブック賞(フィクション部門)を受賞している。「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」は1968年再開発計画に伴い、ハーレムの別の場所に移転、74年、再度の移転要請に耐えられず閉店した。