お知らせ

第59話 「伊万里市民図書館」(2016年2月)

 

 博多からバスで約2時間、佐賀県伊万里市に向かう。途中のバス停に「南波多」があった。思い出した。40年前の早春に、このあたりに来たことがある。その年の正月企画で「男」という連載を担当した。デスクは亡き黒田清さんであった。わたしを含め3人の記者が黒田さんにしごかれたが楽しかった。連載が終わって、小倉で打ち上げがあり、玄界灘のフグを堪能した。その帰路、メンバーの1人の故郷に立ち寄ることになった。「記者とは」「読者の心に届く記事とは」などと語り明かした。彼の母がごちそうしてくれた夕飯がめっぽう旨かったことを覚えている。その彼もまた故人である。

 「南波多」を過ぎるとすぐに「東町」という停留所。目の前に伊万里市民図書館があった。司書の人たちが、今訪ねてみたい図書館は、と問われると必ず名前を挙げるのがここである。名称は「市立」ではなく「市民」となっている。穏やかな感じが漂う建物。老婦人がカートを押しながら、ゆっくりと入ってゆく。古瀬義孝館長が館長室で待っていてくれた。この部屋もガラス越しに閲覧室が見える。事務室とも繋がっている。大きな木の執務デスク。書架にある伊万里焼のカップから好みを聞いてコーヒーを入れてくれる。同行の図書課長の川崎安子さん、司書の安田裕子さんが早くも、この空気に心を動かしている。古瀬さんの案内が始まる。笑顔が絶えない。顔見知りの市民に声をかけてゆく。

 「2月28日 めばえの日」というお知らせが目に入る。図書館の起工式をお祝いする日だという。ボランティアの「図書館フレンズいまり」のメンバーが300食のぜんざいを振る舞う。20年前の起工式にちなんでいる。

 年表には「現在地で起工式。設計者の説明に市民200人が参加 ぜんざい200食を『図書館づくりをすすめる会』が用意する」とある。それが恒例になったのである。「めばえの日」には市民の思いが籠もる。建設準備段階から市民が深く関わっているからだ。準備室長だった古瀬さんは「市民の声を聞きながらの設計でした」という。そのために「図書館づくり伊万里塾」を開催、一緒になって勉強し、ヒアリングが重ねられた。「私たちのための図書館」という意識が高まってゆく。翌平成7年の夏に開館するが、この引っ越しにも200人が手伝いに来てくれたという。すすめる会は「図書館フレンズいまり」となって現在会員は392人。合唱団までつくった。ボランティアの手によって起工式の日を祝い続ける図書館がどこにあるのだろう。ボランティアの拠点も館内にあり、寄付集めにまで奔走してくれる。入館者を集めてくれる。月1回、草刈りもしてくれる。これほど住民と協働している図書館がどこにあるのだろう。

 改めて巡ると、市民のための図書館という視点が隅々にまで生きていることがよくわかる。入口が「徒歩や自転車で来る子ども」と「車で来る大人」で異なる。安全への気配りである。エントランス付近には、本を入れるカート、ベビーカー、車椅子が置かれ、すぐに福祉喫茶「あおぞら」が。ここには障碍を持つ人たちが働いている。閲覧の空間は、小さい子ども向け、児童用とゾーンが分かれている。低い棚、かわいい椅子。絵本のほかに「紙芝居」が数多い。大人が借りて、子どもたちに読み聞かせるという。キッズ専用のトイレもある。隣接してお母さん向けの書籍の棚。子どもの様子を見ながら本を選ぶことができる。書架の間には授乳室も。子どもゾーンを担当するレファレンス・ライブラリアンがいるのにも驚く。

 大人用ゾーンも書架の高さは1m45cm。書架には椅子がセットになっていて、座って本選びができる。高校生以上でなければ入れないスペースもある。全体に流れているBGMもここでは聞こえない。本を読める和室がある。書斎風の空間もある。「家にはないから書斎をつくってくれ」という、これも市民の声から生まれた。中庭に面した廊下ではお年寄りたちが将棋や碁を楽しんでいる。

 テレビを見ている人もいる。市民一人ひとりに居場所がある。

 屋根が高い。中庭から日差しが降り注ぐ。壁や廊下など至るところに伊万里焼のタイルなどが配されている。「ビジネスの情報収集は図書館で」という張り紙もある。すべての年代に気配りされている。布の絵本を作りたいという声を受け止め、作業室にはコンセントがたくさんある。ミシンやアイロンを使うからだ。「のぼりがまのおへや」と呼ばれる読み聞かせのための空間は楽しい。階段に腰を掛ければ窯のなかにいる気分だ。天井には星座が浮かぶ仕掛けもある。館のすべてに配慮がある。市民のためにという視点がある。古瀬さんは結婚式の前にウエディングドレス姿で写真を撮るカップルが3組あったという。きっとここで出会いがあったのだろう。

 一歩外に踏み出す活動も多い。赤ちゃんのブックスタートもその1つである。3ヵ月児健診のときに、絵本を2冊ずつ年間550人にプレゼントする。「ぶっくん号」と名付けられた移動図書館が2台、幼稚園、保育園や小中学校など計71か所を巡っている。朝の読書活動には全小中学校が参加する。そして、子どもたちは図書館の利用カードをつくる。小さい時から図書館に通わせる仕組みができているのだ。「家読」を「うちどく」と読ませ、子どもと親が同じ本を読み、その感想を共有する試みも続けられている。

 なぜ「市民」と名乗るのか。そのわけが理解できる。安田さんは「市民の方への思いやりと愛情の詰まった図書館。『人づくりがあって町づくりがある』という古瀬館長の言葉の通り、対話を通して本と人、人と人とを繋ぐ司書の役割を強く認識しました」という。たしかにこの空間で過ごす人たちにとって、本を読むことが目的のすべてではない。ゆったりとした時間のなかに、身を委ねている。

 川崎さんも「旧来型の公共図書館とは大きく異なる、その館名が示す通り、まさに『市民のための図書館』ですね」と話す。川崎さんは国内外を含め600を超える図書館を見てきている。どのような館でも、もっとも大切な判断基準は、利用者に愛されている図書館かどうか?に尽きると確信している。そして語る。

 「細部にまで及ぶ施設的な工夫や思いやりに満ちた配慮は、簡単なようで難しい。でも実はとてもシンプルで難しくない。伊万里の成功は、市民一人ひとりの人生に寄り添い、心の豊かさを与える文化を育んだ歴史にあるのでしょう。『本と人をつなぐ』図書館司書としての使命に立ち返ることができました」

 「市民のために」を「学生のために」と置き換えればどうだろうか。私たちは伊万里のように心を本当に通わせているだろうか。40年ぶりの伊万里は感傷旅行にはならなかった。あのときと同じように、新たな勇気と力を与えてくれたからである。

   

 「伊万里市民図書館設置条例」の第一条には「伊万里市は、すべての市民の知的自由を確保し、文化的かつ民主的な地方自治の発展を促すため、自由で公平な資料と情報を提供する生涯学習の拠点として、伊万里市民図書館を設置する」とある。昨年11月には伊万里に生まれた森永製菓の創始者、森永太一郎翁を顕彰するコーナーが「伊万里学コーナー」に設置された。懐かしいポスターやキャラメルの箱などが展示されている。第13回日本図書館協会建築賞、子どもの読書活動優秀実践図書館として文部科学大臣表彰、第2回文字活字文化推進大賞などを受賞している。平成26年度の実績で、貸出利用者は10万2,328人、点数は48万6,051点。市の人口は約5万7,000人。