映画「スポットライト 世紀のスクープ」を2度見た。1度目の時には学生たちにLINEでこんな感想を送った。「いま見終えた。余韻を噛みしめているというより茫然自失としている。記者1年生だった50年前に戻りたいと思う。『ボストン・グローブ』の記者たちの思いが届く。“だれのために” “なんのために” 記事を書くのか。新聞記者はやはり、いい仕事である」
2週間後に再び映画館に足を運んだのは、あるシーンを確認するためである。2002年1月、マサチューセッツ州ボストンの新聞『ボストン・グローブ』は衝撃的なスクープを放った。カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきたスキャンダルを暴いた。神父による児童への性的虐待である。過去、教会側の全面否定によって挫折した事件を掘り起こしてゆく。疑惑の神父は87人に及び、被害を受けた子どもは1,000人を超えていた。驚くべき実相が明らかになる。アメリカ社会の権威の一つであるカトリック教会と対峙しなくてはならない。読者の53%がカトリック信者である。この戦いに挑んだのが調査報道のチーム「スポットライト」の4人の記者たちだ。
教会の公式年鑑を調べていたスタッフが気づいた。虐待を疑われる神父の経歴に「病気療養」「休職中」などとある。それは加害者である神父たちが虐待のあと身を潜めていることの証明でもある。女性記者のサーシャ・ファィファーが飛び出す。図書館に走る。緑のシェードのランプが整然と並ぶ閲覧室。文献を読むサーシャの眼差しが鋭い。この場面を確かめたかった。約10秒。テーブルランプが、ホタルのように幻想的に浮かんでいる。たしかにここはボストン公共図書館である。1848年に創設されたアメリカ最古の公共図書館だ。
ふと気づいた。このコラムの第5話(2010年10月)で映画「大統領の陰謀」を紹介した。登場したのはワシントンの議会図書館である。ニクソン大統領を辞任に追い込んだワシントン・ポストの若き記者2人。ウォーターゲート事件として知られる特報である。協力者に頼んで貸出カードを見せてもらう。膨大なカードを繰って、政権がどのような資料を探していたのか。そのヒントを探すシーンがある。気の遠くなるような作業だが、結果は徒労に終わる。「スポットライト」の監督、トム・マッカーシーは「大統領の陰謀」を参考にしたという。権威と聖域に対する果敢な挑戦。図書館が登場するのも同じである。
新聞記者を描いた日本の映像に図書館がどれだけ出てきただろうか。事件や事故を追いかける記者が資料を求めて図書館に行く場面はよくある。しかし、権威や権力と闘う記者たちの姿は見かけない。私自身も、第1回芥川賞を受賞した石川達三の『蒼氓(そうぼう)』という作品を1973年に取材した時の経験がある。24歳だった作者が実際にブラジルに行き、その体験を小説にしたとされているが、記録で確かめたかった。国会図書館に所蔵されている『伯刺西爾行移民名簿』で彼の名を探し当てた。そのぐらいの記憶しかない。
『ボストン・グローブ』の人々の言葉がいい。
新任の編集局長、バロンはインターネット時代にこそ読み応えのある記事が要る、と再取材を命じる。
「組織に焦点を絞ろう。個々の神父ではなく。熱意と用心深さで、教会の隠蔽システムを暴け」
女性記者、サーシャ。丁寧な被害者取材を続ける。
「こういう場合、言葉がとても重要なの。“いたずら”では不十分よ。正確に伝えなくちゃ」
エネルギッシュな記者、レゼンデスは元タクシー運転手。
「グローブのレゼンデスです。記録保管所にある文書を入手したいんですが」
「君の探している文書は、かなり機密性が高いね。これを記事にした場合、責任は誰が取る?」
「では、記事にしない場合の責任は?」
2001年の9.11同時多発テロで一時取材は中断したが、決定的な証拠を求め続けて、「あす掲載」の運命の日を迎える。局長のバロンは原稿を読んで「私たちの仕事はこんな記事を書くことだ」という。フロントページをつぶした世紀のスクープを掲載した新聞が輪転機から排出され、輸送のトラックに載って、夜明けの町に駆けだしてゆく。その日は日曜日。「スポットライト」のメンバー4人は一睡もできずに会社に現れる。仕事場の電話が鳴り出した。全員で受話器を取る。被害者たちからだ。そのラストに、現役時代の同じような光景をよみがえらせて涙が滲んだ。
[文中のセリフなどは映画『スポットライト 世紀のスクープ』(ロングライド配給、2015年)より引用]
『ボストン・グローブ』は2003年にピューリッツァー賞の最も権威ある「公益部門」を受賞した。このテーマで、その後600本の続報を掲載した。ボストンの枢機卿は更迭。アメリカでは300万人が教会を去ったという。衝撃は世界各国にも広がり、全世界で神父による性的虐待などは4,000件に上り2013年にはベネディクト16世が生前退位した。
「スポットライト」は第88回アカデミー賞(2016年2月)の作品賞、脚本賞などを受賞している。
ボストン公共図書館
(ボストン公共図書館HPより)
http://www.bpl.org/central/event_spaces_images/bates.htm#bates1.jpg