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第63話 「ラトビア国立図書館」(2016年9月)

 

 加藤登紀子さんが歌う「百万本のバラ」はiPodにも入っている。その原曲はラトビア人の作曲家によるという。今、バスはその国の平原を疾駆している。口ずさむ。「愛のバラード」として知っているが、現地のガイドさんによれば、もとのタイトルは「マーラが与えた人生」だそうだ。1981年、ソ連に支配されていたこの地に生まれた曲。マーラは女神の名である。人々がもっとも敬愛する神。その歌詞には「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」とある。ロシアに、ポーランドに、スウェーデンに、ドイツに蹂躙されてきた国の首都、リガに入り、ダウガヴァ川に沿って走る。中州にはソ連がつくった368mのテレビ塔と建物。そのすぐ近くに洗練された巨大な現代建築が目に入った。ラトビア国立図書館である。2013年に建設された。テレビ塔とのコントラストが強国の呪縛から解き放たれた人々の思いを伝えてくれる。予定を変えてバスを降りた。アクメンス橋を渡れば旧市街地から歩いてでも行ける。文化の力、言葉に力に託して、愛する故郷を守ろうとする滾る思いを感じてみたい。

 威容だが、威圧はされない。建物全体は長さ170m、幅44m、先端までの高さが68mの三角形である。エントランスに入っても突き当りが見えない。広い。光沢のある御影石が敷き詰められている。柱もパイプも銀色に光っている。しかし見上げると吹き抜けの7階まで書架のディスプレイが伸びている。貴重な古書群である。その本と書架の木の香りが漂う。カウンターで閲覧利用専用のカードをもらい、ロッカーに荷物を預けて透明の手提げに貴重品とメモなどを残す。スタッフの笑顔が柔らかい。少し迷っていると、すぐに教えてくれる。

 平日の昼過ぎで人は少ない。児童書のフロアでは小さな子供たちが声を出すこともなく読んでいる。そのソファやテーブルが可愛い。大きな窓からは世界遺産のリガ大聖堂や聖ペテロ教会の尖塔が見える。閲覧のデスクも、書架はもちろん壁面も階段も何もかも木が使われている。パイプのイスでも手すりは丸まった木。それも厚い。本を読むテーブルも20cm近くある。木は白樺に代表されるようにこの国のシンボルでもある。専門分野別の各階にもくつろぐフロアがある。ソファなどの調度の色が違っている。いたるところに緑の鉢が置かれ、中央のテーブルには花々が添えられている。あとでこの国の人に聞いたら、きっと職員が自宅で摘んでくるのでしょうという。経済は依然として苦しい。若者を中心に年に3,000人が国外に出てしまうそうだ。野の花がよく似合う。

 その時は気づかなかったが、各階の柱の色が違っているという。自分の居場所を確認するためだが、その色はかつてのラトビアの紙幣の色なのである。もちろんユーロの今は、存在していない。図書館そのものが国のアイデンティティであることを表現しているのだ。館内で話しかければいつも答えてくれる。すれ違えば微笑んでくれる。写真を必ず撮ってくれる。この優しさはなんだろう。したたかに時代を歩んできた人々だけが持っているものだろうか。とにかく広い。ゆったりとしている。地下1階から12階まで歩くと3.5kmもあるという。

 夜も開館している。この三角形の両側が輝きだす。親しみを込めて「Castle of Light」と呼ばれている。独立を宣言したのが1990年、5年後に計画が始まり完成まで20年をかけている。やはりソ連からの独立への思いが色濃く写っている。

 記憶がある。

 1989年8月、「Baltic Way」と言われた人間の鎖があった。リトアニア、ラトビア、エストニア3国が自由を求めて立ち上がった。200万人が参加、国境を越え、手を握り合って巨大なデモをしたのだ。鎖の長さは約600km、国際社会に強い衝撃を与え、それぞれの独立へと繋がっていった。開館の引っ越しの時は「Chain of Booklovers」として、やはり「鎖」をつくった。2014年1月18日夜、零下15度。市民1万4,000人が400万冊の蔵書のうちの2,000冊を人から人へと渡し、運び込んだのだ。旧図書館から約2km。今度は本の力で戦うための「鎖」である。その人たちの笑顔が浮かんでくる。