その小さな、ちいさな図書館は那覇市の中心部から南東へ車で20分、空港に通じる国道に面したところに立っている。高さ50センチ、三角屋根の鳥の巣箱のようだ。木の温もりがいい。扉には「本は、自由に読んでください。本は、返しましょう。読んだ内容を、みんなに話しましょう」と書かれている。「リトルフリーライブラリー」である。自転車の子どもたちが大きな声で挨拶をして駆け抜けた。
昨年10月4日の『琉球新報』で、この図書館の存在を知った。沖縄戦で多くの犠牲者を出した女子学徒看護隊「ひめゆり」と「白梅」の取材で訪れた機会に、ぜひ見てみたかった。案内をしてくれたのは琉球新報の阪口彩子記者だ。大阪・岸和田の出身で立命館大学の卒業。学生時代から新聞記者志望で、私と接点が生まれた。
この日、設置の提案者である仲井真小学校区まちづくり協議会(事務局・田端温代さん)の東英児さんとは会えなかった。東さんからは、この「図書館」が生まれるまで、そして、本と子どもたちとの出会いが、丁寧に綴られたメールをいただいた。情景が生き生きと浮かぶ文章だった。田端さんの心に残る場面を。
「おかあさん!新しい本がはいった!」と子どもの大きく叫ぶ声に思わず入口のドアを開けました。なんと4〜5歳の男の子とまだ入学前の女の子、そして母親です。初めて手にする絵本かもしれません。その時の親子の笑顔を忘れることができません。(よかったネ)
小学6年生の女の子が「この本をもらっていいですか?」と手にした本は『自閉症児の教育』です。理由は弟が自閉症と言われて親が悲しんでいるので、自閉症について知りたい、ということです。(そうか!)
料理の本をもらいたい、と小学6年生の男の子です。「お母さんが眠っていてご飯をつくらないので、この本をテーブルに置きたい」と母親に対するメッセージです。(朝ご飯を準備してくれると良いネ)
もう一件、料理の本を持ち帰った男の子がいました。野球クラブで一番小さい身体だけど、きちんと食事をして身体を大きくし、プロ野球の選手になりたい。(笑)
どのエピソードも温かい。見守る田端さんたちの眼差しが優しい。地域が抱える問題も浮かんでくる。そのはずである。小さな図書館が生まれるまでには歴史があり、住民の思いがこもる。地区に図書館をという運動が始まったのは25年前になる。PTAのOBが集まって「ちゃーすがやー」となった。「さあ、どうするか?」という意味である。急激な開発。学校は荒れ、河川などの環境汚染も進んだ。文化的な街にしたい。その答えが校区に市立図書館をつくろうということだった。
「つくる会」ができて、その活動は今も続いている。この間、3ヵ所に個人による、こどもの本の図書館が生まれたが長くは続かなかった。これでは「図書館の芽」は消える。たとえ小さくても、その芽を育て、本当の図書館建設に繋げなくてはならない。東さんたちの「ちゃーすがやー」はライブラリーのある街への一歩を踏み出すことだった。「リトルフリーライブラリー」をつくろう。たちまち素敵な図書館ができあがった。その扉を開けると寄せられた10数冊の本。『福沢諭吉 : 子どものための偉人伝』『あなたにもできる室内犬のしつけと手入れ』、篠田節子著『女たちのジハード』、姜尚中著『心』と『母』などがあった。ここからでも世界は見える。子どもたちの本は借り出されている。
気が付いた。『琉球新報』の記事では、三角屋根の図書館しか写っていないが、私たちの前にはもう一つ、竹を使ったガラス扉の本棚がある。三角屋根をのぞいている子どもたちの姿に感銘した近所の人が作って置いていったという。小さな図書館だから生まれる物語がある。
田端さんは言う。「ブックボックスは私たちの活動の看板、表札と甘く考えていましたが、本について考えさせられた大切な時間でした。本で子どもたちを支援することができるのでは、と考えるようになりました。ここでしか絵本を手にすることができない子どもたちが多いと思うからです」
長年の夢、市立図書館の建設は実施設計段階である。開館は平成31年度になりそうだ。それまでは、小さな図書館が懸命に頑張る。
「Little Free Library」は2009年にアメリカ・ウィスコンシン州のハドソンという小さな町で始まり全米50州に広がった。世界で70か国以上、50,000ヵ所にあるという。置く本は設置者の自由。無料。何冊でも借りることができ、返却期限もない。好みのデザインで巣箱型の本箱をつくる楽しみもある。日本では鳥取市でバス停のポールに取り付けられている例も。