鳴尾は古来多くの和歌に登場する名勝の地であった。今その面影は全くないが。
西行法師「新拾遺和歌集」秋の始め鳴尾といふ所にてよめる
常よりも秋になる尾の松風は分きて身にしむ物にぞありける
隆西法師「夫木和歌抄」
浦さびて哀れなるをの泊かな松風をえて千鳥鳴くなり
大江貞重「續千載和歌集」
やゝ寒きなるをの里の秋風に波かけ衣うたぬ日もなし
慈鎮「拾玉集」
我身こそ鳴尾にたてる一つ松よくもあしくも又たぐひなし
權大納言実家「千載和歌集」
けふこそは都のかたの山のはもみえずなるをの沖に出でぬれ
源家長「續古今和歌集」
生駒山よそになるをの沖に出でゝ目にもかゝらぬ嶺のあま雲
真意法師「新後撰和歌集」
逢ふことはよそになるをの沖津波うきてみるめのよるべだになし
また広く知られた謡曲「高砂」では
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出汐の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり
四海波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ 御代なれや
逢ひに相生の松こそ めでたかりけれ
げにや仰ぎても ことも愚かや
かかる世に住める 民とて豊かになる
君の恵みぞ ありがたき
君の恵みぞ ありがたき |