大蒜の皮
日本語日本文学科 木下りか
大蒜の皮を剝くのは一苦労である。長い間そう思っていた。世の中には「大蒜の皮むき器」なる道具もあるそうだが、我が家にそんなものはない。包丁で両端を落とし、手で皮を剝く。これがけっこうな苦行である。大蒜の一片は小さい。扱いにくい。手は臭くなる。透けるように最後に残った薄っぺらな皮は、しばしば手におえない。
先日、いつものやり方で皮と格闘していた。すると高校生の娘が「なんでそんな剝き方するの?」と声をかけてきた。そして言う。「どうせ潰したり刻んだりして使うんでしょ?はじめに皮ごと、包丁の面を使って、押さえて潰すといいんだよ。そしたら皮が破れてするっときれいにとれる」。なんと、中身を潰して外皮を外す、と言うのである。
「ずっと剝きにくいなあと思っていて、考えたらひらめいた」と娘は上機嫌である。たしかに私も「剝きにくい」とは思っていた。でも「考えたこと」はなかった。
十年あまり前のミリオンセラーに、養老孟司の『バカの壁』がある。思考停止状態にあるのに、そのことに気づきもしないことに対する警鐘の書である。当時読んだときは、不遜にも、「大学はものを考えるところだから、自分に思考停止はあり得ない」などと思ったが、なんのことはない。自分も立派なバカだった。
「私って天才だ」と娘は悦に入っている。輝きを増したその顔に、「さらに上を行く剝き方、考えといて」と、精一杯の応酬をした。