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甲子園会館の秋2021 その1
桜紅葉(さくらもみじ)
桜紅葉(さくらもみじ)
南庭園の紅葉が進んでいます
南庭園の紅葉が進んでいます

日ごとに秋が進み、紅葉の季節となってきました。
甲子園会館の庭園では、ヤマボウシやカツラ、ハナミズキなどに続き、サクラの紅葉が見ごろになってきました。
イロハモミジやハゼも色づいてきました。いよいよ秋を演出する主役たちの登場です。

葉も実も赤く色づいたハナミズキ
葉も実も赤く色づいたハナミズキ
夜でも甘い香りで開花とわかるキンモクセイ 赤い実をつけたナンテン
夜でも甘い香りで開花とわかるキンモクセイ 赤い実をつけたナンテン

甘い香りを放っていたキンモクセイは瞬時に花を落とし、現在はカンツバキの赤い花が庭園の各所で見られます。次第に花を目にすることは少なくなり、果実類が多く見られるようになります。ナンテンの果実も赤く色づいてきました。

ペンタスに吸蜜に訪れたクロアゲハ
ペンタスに吸蜜に訪れたクロアゲハ
ペンタスの密を吸うチャバネセセリ キチョウ
ペンタスの密を吸うチャバネセセリ キチョウ
ハギの花に密を吸うため訪れたウラナミシジミ ハギの花に密を吸うため訪れたウラナミシジミ
ハギの花に密を吸うため訪れたウラナミシジミ
青紫の鮮やかな翅をもつムラサキシジミ ハギに翅を休めるヒメアカタテハ
青紫の鮮やかな翅をもつムラサキシジミ ハギに翅を休めるヒメアカタテハ

甲子園会館がある上甲子園キャンパスでは、結構多くのチョウを見ることができます。
甲子園会館1階テラスに置かれたフラワーポッド。ある秋の日、そこに植えられているペンタスの花にクロアゲハが吸蜜に訪れていました。夏の間、精一杯生き抜いてきたのでしょう。翅はボロボロになっていました。
秋に見られるのは、ほとんどが目立たない小さなチョウたちです。
ガと間違いそうなセセリチョウ。
ポピュラーなキチョウ。
しかし、シジミチョウは小さくても個性が光ります。
翅の裏に褐色と白色の細かい波模様があることから名づけられたウラナミシジミ。翅の表は青色です。
ムラサキシジミの翅の裏は薄い茶色。翅を閉じて止まっていると、その存在さえ消し去ったかのようです。翅を少し開くと、光沢のある青紫色に輝く翅の表が見え、思わずドキッとさせられます。
この季節、目立ちにくいチョウが多い中、ヒメアカタテハは存在感を示しています。シジミチョウよりも大きく、橙色の翅色は飛翔中も鮮やかです。

紅葉してきた南庭園
紅葉してきた南庭園

2021.11.22

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甲子園会館と戦争(海軍病院)
駆逐艦「櫻」の負傷者を収容 その2
開業時ごろに撮影したと思われる甲子園ホテル西翼の絵はがき
開業時ごろに撮影したと思われる甲子園ホテル西翼の絵はがき
現在では物理的に撮影が困難な西側側面の貴重な映像です
昭和19年には海軍病院として数奇な短い運命を辿ります

駆逐艦「櫻」の負傷者を収容 その1」で、同艦に乗り組んでいた艦長従兵・西部喜久市さんの証言を紹介しました。西部さんは、「櫻」が大阪湾で触雷沈没した際に右足を負傷し、大阪海軍病院に搬送され手術を受けています。駆逐艦「櫻」の行動や、沈没後救助された乗組員の処遇については、同艦の航海長であった桂理平大尉が著した「わが海戦記―囮部隊の空母瑞鳳と駆逐艦桜の最期―」(平成4年11月 霞出版社)に詳しく書かれています。

西部さんが証言した内容がより鮮明に理解できる記述となっていますので、関連部分を以下に紹介します。

(3)大阪湾掃海水道の警戒艦となり、任務中、触雷により無念の沈没

6月末、櫻は大阪警備府所属と決まった。損害部の修理を完了したので弾薬、食料を補充し、気力充実した乗組員を乗せて呉を出発、瀬戸内を東に向かった。明石海峡の掃海水道のD点にいた欅の側を挨拶をして通過した後、大阪築港に着いたのは7月4日であった。

夕方であったが築港に近づくと、大阪の空は黒い雲に覆われて薄暗く、神戸地区では晴天であったのに急に何事が起こっているのかと疑った。説明によると2、3日前からB-29の大空襲による焼夷弾攻撃で、市街が焼け野が原になった時の煙がまだ空に残っているのだという。前代未聞の大被害であった。

入港して港付近の無残な民家の焼跡とその残骸が山積した悲惨な姿を見た。東京も名古屋も同様な被害だろうと暗然たる気持ちになった。

さて、櫻は大阪湾の掃海水道の重要点B点に碇泊して、警戒の任に当たるべしと命ぜられた。警戒の任務とは、

①敵B-29による機雷投下(特に夜間が多い)を監視して投下位置を確認すること。
②通行する船舶に対して安全な航路を指導すること。
③自艦を攻撃する敵機はこれを撃墜せよ。

要するにサイパン方面からのB-29の大編隊による都市への焼夷弾攻撃の陰で、夜間に低空三千米位いで飛来して磁気機雷を投下し、海上交通特に物資輸送を途絶せしめんとする敵に対抗する作戦であった。

安全に航海できると思われる掃海水道が設定してあり、B点は大阪築港灯台と神戸港東灯台から共に約5.5マイル地点で、交通の重要な分岐点であった。既に明石海峡西口のD点の配備についている欅とは、互いに水平線の彼方に僅かに姿が見えるし、無線で連絡をとって協同作業を予定していた。

7月5日、櫻はB点の配置についた。
夜はB-29の独壇場で、大阪湾周辺の都市を焼夷弾攻撃をした。われわれは紅蓮の炎を発して燃えるのを目撃してもどうすることもできず、悲憤の思いに駆られた。和歌山、岸和田、堺、大阪、尼崎、神戸、明石の町々のどこかが毎夜やられた。業火の中で被災している同胞を思い涙なきを得なかった。
昼間は比較的平穏で、乗組員の士気を保つために、分隊対抗のカッター撓漕競争をしたこともあった。が、突然敵機P-51、P-38戦闘機が現われ(硫黄島から直接発進していた)銃撃を受け、慌てて中止したこともあった。

7月10日、大阪警備府の敵情報の分析によると、近日に機動部隊が紀伊半島に接近する公算が大で、阪神地区に敵空母機の大規模な空襲が予期されるので、各部隊は警戒を厳にしてこれに対応せよとの警報が発せられた。重大な情報である。

大阪湾の目抜き通りに碇泊している櫻と欅は、このままでは敵の第一目標となる。飛行機の援護がなければ、あの大和でもやられるご時勢である。一時避難する必要がある、と司令、艦長は決意した。

艦長は、避難先を友が島水道の東側の地点に決めたと思うと述懐しておられる。明日午前5時、現在地を出発することに決まった。

7月11日午前5時、「出港用意、錨を揚げ」の号令でラッパの音も勇ましく錨を揚げ始めた。操艦をする艦長は、磁気機雷を警戒して掃海水道からはみ出さないように、その場回頭をするために左右のスクリューの回転を反対にするよう命令した。艦首を予定進路に向けて両舷前進半速(9ノット)と号令した頃と思うが、その時、艦尾で大きな爆発音がして艦体が振動した。敵の投下していた磁気機雷に触れて爆発したのだ。

私は艦橋の直ぐ後ろにある海図机に頭を突っ込んで仕事をしていたが、振動のショックで右脇腹を机の角で強く打って失神してしまった。夢の中で遠くの方で「航海長! 航海長!」と呼ばれている感じで気がついた。現実には戻ったが呼吸をするのが苦しく、打った箇所が痛かった。信号員の武井上曹やその他の部下が背中を叩いて正気づかせてくれたのである。

正気づくと回復は早かった。若かったからだろう。あたりを見廻すと艦は左舷に約十度程傾いており、艦尾の内部で火災が起こっているらしく煙が出ているのが見えた。

艦長は先任将校に被害の状況を調査せよと命令したが、後甲板からの報告がない。改めて傍にいた水雷長に後部へ行き実情を調べて報告せよと命令した。

その後、2、3分過ぎた時、前回を数倍上廻る大爆発が後部で起きた。中央部にあった機銃台の後方以後は吹き飛んだように思えた。艦は益々左舷に傾いて行く。今回の艦体の振動は物凄かったが、私は固定物に摑まっていて無事であった。

爆発によって吹き飛んだ鉄片が艦橋の上段にある射撃指揮所や露天の旗甲板にばらばらと音を立てて落ちてきた。その付近の連中は大丈夫かなと心配する余裕があった。
が、艦が沈没直前という緊急の時に、急に司令と艦長の声がしなくなった。どうしたのかと周辺を捜すと、二人共、衝動により艦橋の側壁と羅針儀の台に衝突し、失神して坐り込んでおられる。

私はこれは大変だとばかりに、慌てて直ぐに近くの艦長の背中を強く叩いて怒鳴った。「艦長、しっかりして下さい!」同時に傍にいた隊付きの信号員井上兵曹に「お前も司令の背中をどやしつけて救助しろ。」と叫んでいた。

幸いに激しく背中を叩くことによって、意識が戻ってもらえた。だが、直ぐには体が自由には動かない。残っていた航海科員が協力して、殆んど真横まで傾斜していた艦橋の右舷の窓から二人を引き揚げて助けることができた。

司令も艦長も、横倒しになった櫻の現状を見て、沈没は間近だと判断した。

「総員、退去せよ、速やかに艦から離れよ。」と命令した。

然し、その時艦上に居たものは極めて僅かだった。1回目、2回目の爆発で海上に吹き飛ばされた者が多かったと思う。また、戦死された方々もこの時であったと思われる。艦橋付近に残っていた私達は、自ら海に入って櫻から離れた。後になっての推測だが、1回目の爆発は5時7分頃、2回目の誘爆(これは積載していた魚雷の火薬の誘爆であった)は5時20分頃と考えられる。

沈没地点はB地点をいくらも離れていなかったと思う。正式には大阪港中突堤灯台の256度5.6マイルと防衛研修所戦史室の資料に記録してある。

沈没の体験は二度目であったので、慣れた感じで浮かんでいる木材を集めて波間に漂った。服装は勿論そのままである。近くの者に集まれと呼びかけた。櫻は横転し艦底の赤腹を見せた後、ゆっくりと沈んだ。海の水深は20米位いなので直ぐ着底して、引き込まれる波は起きていない。六甲の山々の見えるところで、艦がやられて自分は波間に浮かんでいる。残念で仕方がなかった。

付近を航行していた民間の運搬船の船長が、遭難者を救おうという船乗りの友情を発揮して、勇敢に近寄って浮かんでいる人々を救助してくれた。生き残ったものは全てこの船に引き揚げられた。船の名前は照日丸といい、船長は鈴木倉吉さんで大変お世話になった。大分遅れてから大阪から救助の船が来て、負傷者や一部の者が乗り移って大阪港に向かった。照日丸も大阪に行ってくれた。厚くお礼を申し上げる次第である。

然し、この時乗組員312名の内、130名の尊い戦死者が出た。国のためとは云え、哀しみに堪えない。心より哀悼の意を表し御冥福を祈る次第である。

(4)残務整理を行う

救助された者全員は、大阪築港に運ばれた後、重傷者は直ぐに大阪海軍病院(西宮市の甲子園ホテルが徴用されていた)に収容され、軽傷者は大阪海兵団の病室に入った。残りの生存者は大阪市住吉区杉本町にあった大阪海兵団に運ばれたが、満杯であったので近所の遠里小野(おりおの)小学校が宿舎として提供された。

 

以上、「わが海戦記―囮部隊の空母瑞鳳と駆逐艦桜の最期―」から関連部分を引用しましたが、同書の巻頭に、元駆逐艦「櫻」艦長の卜部章二少佐が推薦の辞を寄せています。そこには「櫻」の沈没場所は神戸御影沖だと書いています。

駆逐艦「櫻」の負傷者を収容 その1」でしょうけい館のDVDを紹介しました。その中で、西部さんの気持ちが「艦長と共に共同訓練中の戦艦大和を訪ねたのが忘れられない思い出だ」と字幕に表現されていました。「わが海戦記」に、平成20年2月初め、「櫻」は柱島泊地に錨泊している戦艦「大和」に横付け。「大和」から「櫻」の砲術長に転任発令が出ている隠沢兵三大尉を卜部艦長自らが迎えに行くためだった旨の記載があります。おそらくこの時、西部さんは卜部艦長に従って大和に乗艦したのでしょう。

「わが海戦記」の記述から、昭和20年7月11日午前5時、「櫻」が御影沖の錨地を出港しようとしたのは、予期された米空母機の大規模な空襲から一時避難するためだったことが分かります。

「わが海戦記」の中に、「櫻」沈没のときの乗組員の状況が表になっています。表では、乗組員は312名で、生存者は182名、戦死者は130名。生存者の内、重傷者33名、軽傷者37名となっています。重傷者の内訳は、准士官以上1名、下士官、兵では第一分隊20名、第二分隊7名、第三分隊1名、第四分隊4名です。この重傷者33名全員が大阪海軍病院に収容されたのでしょうか。

また、「わが海戦記」に准士官以上の職名、官、氏名等が記載されていますが、司令豊嶋俊一大佐が大阪海軍病院入院とあります。当時「櫻」は第53駆逐隊の旗艦であったため、同隊の司令が乗艦していたのでしょう。准士官以上の重傷者1名は豊嶋司令を指しているものと思われます。

「わが海戦記」には、大阪海軍病院を説明するのに「西宮市の甲子園ホテルが徴用されていた」と括弧書きされていますが、甲子園ホテルの当時の所在は兵庫県武庫郡鳴尾村です。昭和26年4月1日、合併により西宮市となったものです。

海軍省は甲子園ホテルを収用し、昭和19年(1944年)6月15日、呉海軍病院大阪分院(普通収容数400名、最大収容数580名)を開設して患者の収容を開始。20年(1945年)3月1日には、大阪分院は大阪海軍病院として独立しました。

「呉海軍病院史」(平成18年10月1日 呉海軍病院史編集委員会編集発行)には、その間の昭和19年(1944年)12月5日に「呉海軍病院大阪分院ニ於ケル入院患者ノ一部ヲ日本赤十字社兵庫支部療養院ニ委託シ診療ヲ開始セリ呉海軍病院大阪分院須磨赤十字病院ト呼称ス」と沿革誌資料に記載されています。また、「須磨日赤、高松日赤、松山日赤は、戦災により焼失したという。」と書かれています。

⇒『甲子園会館と戦争(海軍病院)駆逐艦「櫻」の負傷者を収容 その1』はこちら

2021.11.04

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さらに豪華に!
今年もやります「BIGまつぼっくり」プレゼント
「甲子園会館まつぼっくりアート展」開催のお知らせ

昨年ご好評をいただいた「BIGまつぼっくり」プレゼント。
今年もやります、内容も規模もさらに充実して。

甲子園会館(旧甲子園ホテル)の東翼のそばに、ダイオウショウ(大王松、ダイオウマツともいう)という北アメリカ原産の松が一本生えています。戦前のホテル時代からあったもので、高さは4階の屋根を越えています。英名はlongleaf pine(長い葉の松)というように、3本が一組となった葉(三針葉)は長さが40cmになることもあります。

ダイオウショウの松ぼっくりは、長さが20cm以上にもなる「BIGまつぼっくり」です。オーナメントとして、フラワーアレンジメントや工作によく使われます。特に今の季節には、クリスマスツリーやリースに引っ張りだこです。

昨年は、この「BIG まつぼっくり」を先着100名の方に差し上げる(一人1個)と広報したところ、大変な好評を博しました。今年は、「BIGまつぼっくり」のほか、クロマツ(黒松)の松ぼっくり、シダーローズ、フウの実、センニチコウ(千日紅)のドライフラワー、シリカ水500mlをセットにして先着200名様に差し上げます(一人1セット)。

お一人につきこのパッケージとシリカ水(500ml)1本をお渡しします

お一人につきこのパッケージとシリカ水(500ml)1本をお渡しします

「BIG まつぼっくり」などを使った自慢の作品は、ぜひInstagram「甲子園会館まつぼっくりアート展」に投稿してください。

プレゼントの内容は次のとおりです。

①「BIGまつぼっくり」 1個

「BIGまつぼっくり」の説明は上に書いたところですが、次のことにご注意ください。

  • 松ぼっくりは自然の物のため、大きさや形状にはバラつきがあることをご了承ください。
  • 松ぼっくりは殺虫剤で処理をしていますが、異物などが残っている場合があるかもしれません。
  • 松ぼっくりにはトゲがありますので、けがをしないようご注意ください。
②クロマツ(黒松)の松ぼっくり 1個

甲子園会館に生えているクロマツ(黒松)の松ぼっくりです。「BIGまつぼっくり」との大きさの違いに注目ください。

ダイオウショウとクロマツの松ぼっくり 大きさにこれだけ差があります

ダイオウショウとクロマツの松ぼっくり 大きさにこれだけ差があります

③シダーローズ 1個

ヒマラヤスギ(杉)の実(球果)の先端部分です。バラの花のような形をしていることから「シダーローズ(Cedar rose)」(杉のバラ)と呼ばれています。甲子園会館の正門には象徴的な2本のヒマラヤスギがあり、会館内部にも植わっています。秋になるとそこからシダーローズは落ちてきます。しかし、放っておくとバラバラになるので、接着剤で固めるなどバラの形状を保つのに手間を要します。

手芸材料として人気のシダーローズ

手芸材料として人気のシダーローズ

④フウの実 2個

高さ20メートルにもなるフウは、秋に褐色でトゲのある球状の果実が成熟します。甲子園会館にはフウの木はありませんが、甲子園会館の緑地を管理している阪神園芸㈱から提供を受けたものです。

フウの実

フウの実

⑤センニチコウ(千日紅)のドライフラワー 1束(8個程度)

武庫川女子大学建築学部景観建築学科では、学習の一環として、園芸スタジオで様々な植物を栽培しており、センニチコウもその中の一つです。学生が育てた花をドライフラワーにしたものです。

センニチコウのドライフラワー

センニチコウのドライフラワー
8個程度を1束にしてプレゼントします

⑥シリカ水(500ml) 1本

「さひめの泉」を使用した武庫川女子大学オリジナルボトルウォーター(500ml)。水溶性シリカを1ℓに70㎎含むまろやかで飲みやすい硬度19の超軟水です。
武庫川学院が1本100円(税込)で販売しています。別途購入ご希望の方は、事業部売店(0798-45-9910)へお問い合わせください。

「BIGまつぼっくり」セットの申込み、お渡し要領は次のとおりです。

申込みフォームhttps://forms.gle/mw2c8hkhdA5vHANc9
申込み期間11月1日(月)から(予定数に達したときに終了します)
お渡し期間11月25日(木)~12月10日(金)
お渡し方法原則、甲子園会館へ取りにお越しください。
甲子園会館
まつぼっくりアート展
お渡しした「BIGまつぼっくり」等でつくった力作を#甲子園会館、
#甲子園会館まつぼっくりアートをつけてぜひInstagramに投稿してください。
問合せ先武庫川女子大学甲子園会館庶務課 0798-67-0079

2021.10.28

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武庫川女子大学甲子園会館の360度映像を「にしのみや市民祭り」の特設ホームページで見ることができます
甲子園会館南庭園に据えられた360度カメラ
甲子園会館南庭園に据えられた360度カメラ

「にしのみや市民祭り」は、昭和48年(1973年)9月に第1回が行われ、令和3年(2021年)度で第46回となりました。

昨年は10月24日に予定されていましたが、新型コロナウイルス感染拡大により中止。
本年10月23日開催の市民祭りは、新型コロナウイルス対策のため屋外行事を取りやめ、初めてオンラインによる開催となりました。
10月23日には、アミティ・ベイコムホールから各種ステージイベントの様子がインターネットで動画配信され、来年3月31日までYouTubeで視聴可能です。

にしのみや市民祭りのオンライン用特設ホームページにはいくつかのコンテンツが用意されており、その一つである「みやたんオンラインクイズツアー」は、西宮市キャラクターの「みやたん」が西宮市内の素敵なところ、普段は入れないレアなスポットを紹介するものです。
このスポットとして、丸山貯水池と丸山浄水場(5分17秒)、西宮市役所第二庁舎(7分06秒)、西宮砲台(4分39秒)、西宮北口周辺(7分01秒)とともに、甲子園会館(3分05秒)が取り上げられています。

西宮砲台と甲子園会館の撮影には、360度カメラが使用されました。甲子園会館の撮影は、9月13日に行われ、北側玄関前広場、屋上、南庭園、西ホール(ホテル時代のバンケットホール)内部、1階にある泉水に360度カメラを据えて行われました。360度カメラの映像は、見る者に新鮮な印象を与え、画面を動かすことによってあらゆる角度からの眺めを楽しめることは今までにない驚きです。最後にみやたんから泉水にちなんだクイズが出題されます。クイズは、5か所のスポットから1問ずつ出題され、3問以上の正解者には抽選でプレゼントがもらえます。

ホームページhttps://www.nishinomiyashiminmatsuri.jp/online/quiz-tour/
コンテンツ名みやたんオンラインクイズツアー みやたんと甲子園会館に行こう!
公 開10月23日~来年3月31日まで
プレゼント応募期間来年1月7日まで

2021.10.27

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甲子園会館と戦争(海軍病院)
駆逐艦「櫻」の負傷者を収容 その1
開業時ごろに撮影したと思われる甲子園ホテルの絵はがき
開業時ごろに撮影したと思われる甲子園ホテルの絵はがき
しょうけい館のDVDの中で「甲子園ホテルを接収した海軍病院」として紹介されている

甲子園ホテルは、昭和5年(1930年)に開業してからわずか14年余りの昭和19年(1944年)、海軍省に収用され海軍病院になったといわれています。甲子園ホテルが海軍病院となった経緯について、「呉海軍病院史」(平成18年10月1日 呉海軍病院史編集委員会編集発行)には以下のように記載されています。

太平洋戦争の苛烈化にともなう後送患者の急増は、戦時期ということで遊休化しているホテル、旅館の接収による分院の開設を促すことになった。昭和19年6月15日には、兵庫県武庫郡鳴尾村の甲子園ホテルを接収し、呉海軍病院大阪分院(普通収容数400名、最大収容数580名)を開設し患者の収容を開始した。その後20年3月1日をもって、この大阪分院は大阪海軍病院として独立した。

商業登記簿によれば、株式会社甲子園ホテルは昭和5年(1930年)2月12日に設立し、昭和19年(1944年)6月28日株主総会の決議により解散となっています。不動産登記簿によれば、甲子園ホテルの土地・建物ともに昭和19年(1944年)7月5日売買により海軍省に所有権が移転しています。

この海軍病院時代については、現在の所有者である武庫川女子大学(学校法人武庫川学院)は、当時の関係者からの聞き取り等以外にはほとんど資料を所持していません。公表されている刊行物や関係されていた方のお話し等から、わずかに当時の様子をうかがい知るという状況です。
甲子園会館が保管しているDVDの中に、海軍病院時代の様子を垣間見ることができるものがあります。以下に紹介いたしましょう。

しょうけい館(戦傷病者史料館)という国の施設(博物館)が、東京都千代田区九段南にあります。厚生労働省が戦傷病者等の援護施策の一環として、戦傷病者等が体験した戦中・戦後の労苦を後世に語り継ぐ施設として、平成18年3月に開館したものです。戦傷病者とその家族等の労苦を知り、語り継ぐという趣旨から「承継」という言葉を館名にしています。
しょうけい館では、戦傷病者労苦継承事業としてオーラルヒストリー「戦傷病者の労苦を語り継ぐ」DVDを作成し、館内の証言映像シアターで上映するとともに、情報検索コーナーで自由に閲覧することもできます。平成21年度に制作された岐阜編2は次の内容となっています。

  1. 「受傷の痛み 優しきまなざし」大橋荘作・操さん(16分20秒)
  2. 「海軍看護兵 若き日の記憶」後藤誠次さん(14分34秒)
  3. 「再起奉公 痛みと葛藤を超えて」後藤隆雄さん(17分23秒)
  4. 「軍隊経験 その光と影」中川幹夫さん(21分10秒)
  5. 「支え合い ともに歩む」西部喜久市・良子さん(15分53秒)

2番と5番は海軍で、それ以外は陸軍で体験した戦傷病者の労苦について語られています。
2番の後藤誠次さんは、呉海軍病院、戦艦「伊勢」、上海、特設病院船「高砂丸」などでの看護兵としての思い出を語っておられます。

5番の「支え合い ともに歩む」は、平成21年11月19日に収録されたもので、西部喜久市さんが大阪海軍病院での手術や入院生活について語られています。その概要は大略次のようです(N:ナレーション)。

N乗り組んでいた駆逐艦が機雷に触れ、右足を負傷した西部喜久市さん。戦後、妻とともに洋裁店を経営。3人の子どもを育て店を大きくしてきた。その努力を支えたのは亡き戦友に対する感謝の気持ちである。西部さんは昭和18年8月に海軍に志願した。当時15歳だった。
西部そのころは、遊びは戦争ごっこで、学校を卒業したら兵隊さんになって国のため親のために尽くそうという、それが子供のころの一つの大きな望みでした。
N紀伊防衛隊の陸上勤務を経て、昭和19年9月、駆逐艦「櫻」に乗り組んだ。
(駆逐艦「櫻」の写真が写される)
西部とにかくフネに乗れるんや、乗組員になれるんや、いよいよ海軍の兵隊さんかということで、喜びがありましたね。機銃の何番かは忘れたが射手になって、それから艦長従兵。一番若手の方から割と可愛がられていた者がなったような気がしますね。ある程度機転が利かなければ従兵になれなかったとは思いますけれど。
字幕西部さんは「艦長従兵」に選ばれた
艦長と共に共同訓練中の戦艦大和を訪ねたのが忘れられない思い出だ
N「櫻」は、中国華南地方で兵員輸送の護衛を務めた後、大阪湾の掃海作業に当った。
西部機雷を落としてあるから、それを掃海。きょう通るルートはどうなっているかを監視して、それを連絡しておったのではないか。
N昭和20年7月11日、「櫻」は大阪湾で機雷に触れ沈没。西部さんは受傷する。早朝出港直後の出来事だった。
(沈没地点を示す地図が写される-沈没地点は、神戸港から南へわずかな距離であることが分かる)
字幕昭和20年7月11日 右下腿失肉弾片創、左下腿挫創
西部敵の潜水艦が来たのかなんか知らんが、とにかく出港ということになりまして、早朝、食事前だから5時なんぼか6時ころだか分からないが、出港ということになってエンジンを入れて艦が舵を切るか切らないうちに、機雷が下にあったようだから、それが後部の機関室の下で爆発した。ものすごい轟音とともに後ろの人は吹っ飛んだりなんかしたらしいですけど、私は艦長従兵でしたから、食事の準備をしたときに電気は消えるは、冷蔵庫はひっくり返るは。泡食って艦長の部屋まで行って、艦長が恩賜の短刀を持っておられたからそれを取ってこなあかんと頭にひらめいたが、行ったら真っ暗でわからなかった。ついにやられたかという感じでしたね。後で思ったのかもしれないけれど、機雷があるところを指図していたその張本人が、下に機雷があったなんて残念なことですけれど。中は真っ暗でしたし、艦長の部屋に行っても真っ暗でわからなかったから、甲板の方へ出て右往左往していたのでしょうけれども。
Nそのとき積んでいた弾薬が誘爆し、西部さんは右足に破片を受けた。
西部後ろの弾薬庫、高角砲とか機銃の弾に誘爆し、火がピピッと飛んだ。鉄板の破片が飛んだと思うが、そのときに足をやられたらしい。自分はケガしたと思わなかったが、歩こうと思ったら足の裏がペタペタと血で引っ付くんですよ。それで、アッやられたと思って見たら、血がカッと出とったのです。艦は、前の方は引っくり返って鎖を降ろしたのだが、赤い腹を出して、私は引っくり返る艦の横っ腹を走って、泳ぎに自信ありましたから海にドボンと飛び込んでちょっと泳いで艦から離れました。艦が沈むときに巻き込まれるというのは聞いてましたから、吸い込まれたらいかんということで離れました。泳いでいるときはみんな顔が油で、誰だか分らなかった。最後は誰かの音頭で海軍の軍歌を歌って泳いでました。私の目に二、三映ったのは、補充兵の人やったろうと思うんですけれど、目の前で沈んでいく人もおりました。ああ情けないな、助けてあげたいけどこちらも助けてあげる余力はあらへんし。
N2時間ほど漂流していたとき、運よく通りかかった船に救助された。
西部あれ民間の荷物運ぶかなんかしている船だったと思うんですけれど、それに助けられたということです。私は階段を歩いて、艦長の従兵だから身の回りの世話せなあかんと思ったけど、上がったらもう足が動けない。
(ズボンの右の裾をまくり、右足の傷跡を見せ、当時の負傷した様子を説明)
痛みはそんなにないんですよ。塩水だと血もおさまるらしい。
N西部さんは、甲子園ホテルを接収した海軍病院に収容されて2回の手術を受ける。
(甲子園会館が提供した甲子園ホテルの写真が写される-冒頭に掲出した絵はがき)
西部傷口を元に戻すようにしたのですけれど、血が溜まって…
(右足手術の様子を説明)
それが麻酔も何もせずに、看護婦さん4人か5人で抑えられとって切られて、痛かったと思うんですけれど若かったから辛抱しとったんですが。夏でしたから蚊帳を吊ってやっとったんですよ。
N神戸の空襲も次第に激しくなっていった。
西部初めの空襲のときは看護婦さんにおんぶしてもらって防空壕に入ったんですよ。私はそのころ70キロ近くあったから重かったので、看護婦さんに迷惑かけたらいかんからもういいと言って蚊帳の中で寝ていました。窓から、B-29飛んでるわいと。みんなは防空壕に入ったけれど、私はもうよろしいと言って。
N空襲を避けるために有馬温泉の療養所に転院した。
西部療養所の海軍さんは一番先に入るんやということで、有馬温泉はタオルがすぐに茶色になる泉質なんですよね。油が浮いているんですよ。それをみんなでワーと流して入ってましたね。まだまだ頑張っとるぞ、大和魂まだあるぞという感じで。
N西部さんはもう一度海軍に戻り戦うつもりだった。しかし8月15日の終戦を迎える。
昭和21年11月故郷に戻る。負傷した右足が2センチ短くなっていた。親戚のメッキ工場に勤めた。

西部さんは、立ってする仕事が体に合わず、メッキ工場を辞め昭和24年2月、21歳のときに洋服店に入りました。そこでしゃにむに仕事を覚え、一生懸命働きました。昭和30年1月に勤めていた洋裁店の娘だった良子さんと結婚。昭和40年独立。足のしびれ、冷えは続いたが、夫婦二人三脚でやってきました。
平成21年、82歳になって岐阜県傷痍軍人会の副会長を引き受けました。亡くなった戦友たちが後押ししてくれているという感謝の気持ちの表れでした。

西部喜久市さんの証言DVDから次のようなことが分かります。

  • 昭和20年(1945年)7月11日に大阪湾で触雷沈没した駆逐艦「櫻」の負傷者が大阪海軍病院に搬送されたこと。
  • 大阪海軍病院の病室に蚊帳が吊られていたこと。甲子園ホテルには建設当時から暖房設備は整っていたが、冷房設備は設けられていなかったと言われています。
  • 大阪海軍病院に防空壕が設置されていたこと。
  • 有馬温泉に療養所があったこと。

駆逐艦「櫻」は、戦時量産型として32隻が建造された「松」型駆逐艦(丁型駆逐艦)の13番艦です。日本海軍の艦名としては2代目。DVDの中で「櫻」として使われていた写真は初代(昭和7年除籍)の艦影であり、西部さんが乗り組んでいた艦とは異なります。
「櫻」は、横須賀海軍工廠で昭和19年(1944年)6月2日に起工。9月6日に進水し、11月25日に竣工しています。西部さんは9月に乗り組んだということなので、おそらく艤装員だったのでしょう。 「櫻」も含まれる「松」型駆逐艦の要目は、「造艦技術の全貌」(昭和27年7月 興洋社)等によれば次のとおりです。同型であっても個別の艦によって要目が若干異なる場合もあります。

基準排水量1,262トン
水線長98m
全幅9.35m
喫水3.3m
出力19,000馬力
速力27.8ノット
兵装12.7㎝高角砲:連装×1、単装×1
61㎝4連装魚雷発射管×1
25㎜機銃:3連装×4、単装×8

【資料協力 清水裕士氏】

2021.10.18

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武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)が三たび切手の図案に!
西宮の風景 ~西宮名所めぐり~の【切手デザイン】
西宮の風景 ~西宮名所めぐり~の【切手デザイン】

武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)の写真が切手の図案に採用されました。

西宮市と芦屋市の郵便局58局で販売するオリジナルフレーム切手「西宮の風景~西宮名所めぐり~」です。甲子園会館は、2016年の「西宮の景色」、2018年の「兵庫県政150周年記念 摂津の國」に続き3回目の登場となります。

甲子園会館のほか、「西宮砲台」「西宮神社」「カトリック夙川教会」「六角堂」「夙川の桜」「ニテコ池」「廣田神社」「関西学院大学」「甲山」の10景でシートが構成されています。84円の切手10枚を組み合わせたもので、販売価格は1シート1,330円(税込)。販売単位はシートであり、切手の一部分だけを切り離して買うことはできません。500シートの限定発売なので、売り切れないうちにお買い求めください。

名称西宮の風景~西宮名所めぐり~
販売開始日2021年10月18日(月)
販売部数500シート
販売箇所西宮市南部の郵便局46局と芦屋市の郵便局12局
※山口郵便局、西宮東山台郵便局、塩瀬郵便局では取り扱いません。
※簡易郵便局は除きます。
※日本郵便株式会社Webサイト「郵便局のネットショップ」でも10月25日(月)から取り扱いします(販売価格のほかに郵送料等が加算されます)。
シート構成1シート 84円切手×10枚
販売単位シート単位で販売
販売価格1シート1,330円(税込)
問合せ先日本郵便株式会社近畿支社 郵便・物流営業部(物販・広告ビジネス担当)
電話:(直通)06-6944-8157
甲子園口郵便局の風景印
甲子園口郵便局の風景印

関連して、平成28年12月12日の本ホームページでも取り上げましたが、甲子園口郵便局の風景印について再度紹介します。

甲子園会館と阪神甲子園球場が一つの図案の中に描かれた風景印で、甲子園口郵便局の窓口で平成11年8月2日より使用されています。

風景印は、正式名称を風景入通信日付印(ふうけいいりつうしんにっぷいん)といいます。風景印は、郵便局名、日付とともに局周辺の名所旧跡等にちなむ図柄が描かれた消印の一種です。窓口で郵便物へ風景印を押印し、相手方へそのまま差し出す引受消印のほか、切手を貼りつけた台紙等に押印してもらって持ち帰る記念押印も可能です。この場合、台紙等に貼る切手は現在63円分以上となっています。窓口へ行かずに郵便で押印依頼をし返送してもらうサービス「郵頼(ゆうらい)」と呼ばれる方法もあります。

詳しくは甲子園口郵便局へお問い合わせください。

■甲子園口郵便局
〒663-8113 西宮市甲子園口2丁目3-28 TEL 0798-65-9513

2021.10.15

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2021夏~初秋の甲子園会館
このような真夏らしい景観はあまり見られませんでした
このような真夏らしい景観はあまり見られませんでした
池の噴水が涼しさを感じさせてくれました
池の噴水が涼しさを感じさせてくれました

2021年の夏は雨や曇りの日が多く、写真の題材となるような入道雲の姿はあまり見かけませんでした。とは言うもののやはり夏は暑く、南庭園の池の噴水がしばし目に涼しさを届けてくれました。

景観建築スタジオ西館前のスイレン。水面に西館が写っています
景観建築スタジオ西館前のスイレン。水面に西館が写っています

上甲子園キャンパスの西端には景観建築スタジオ西館があります。建築学科2年生以上が学んでいる「建築スタジオ」と中庭を挟んで対面するように建てられています。今年の3月16日に竣工したもので、鉄筋コンクリート3階建ての西館は、景観建築学科2年生以上の校舎として使われています。西館の前には大きな水鉢が置かれ、スイレン(睡蓮)が華麗な花を咲かせていました。

林で見かけたアキアカネ(未熟型)
林で見かけたアキアカネ(未熟型)

池の傍の林では、アキアカネの未熟型が羽を休めていました。
クマゼミの声がいつの間にかツクツクボウシにかわり、やがて秋の虫へと引き継がれていきました。

東山のヒガンバナ ヤブラン
東山のヒガンバナ ヤブラン

9月になると、甲子園会館東側の東山ではヒガンバナ(彼岸花、別名・曼殊沙華)やヤブラン(藪蘭)が咲きました。

南庭園池の端のススキ
南庭園池の端のススキ
池の端ではハギも咲いています
池の端ではハギも咲いています
ススキの根元ではナンバンギセルが今年も咲きました
ススキの根元ではナンバンギセルが今年も咲きました

池の周りではススキ(芒、薄、別名・尾花)が花穂をつけ、ハギ(萩)が赤紫の可愛い花を咲かせています。ススキの根元には、今年もナンバンギセル(南蛮煙管)が赤紫の花を見せてくれました。
今年は季節の移ろいが早いようです。徐々に紅葉が始まり、やがて錦繍の秋を迎えます。日ごとに変わる自然の絶妙さに心がときめく時期はまもなくです。

2021.09.30

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武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)の画像を配信します
 -兵庫県阪神南県民センターのオープンミュージアムにオンライン参加
北正面から見た甲子園ホテル(現・甲子園会館)

北正面から見た甲子園ホテル(現・甲子園会館)

10月1日から、国の登録有形文化財・武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)の画像を2本、YouTubeで配信します。

①「甲子園ホテル 1930~1944」(6分41秒)

華やかだったあの頃、甲子園ホテル時代をご案内します。
https://youtu.be/ziyeRrOVgYg

甲子園ホテルは、昭和5年(1930年)に阪神電鉄により建てられた豪華リゾートホテル。当時は「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称され、阪神間の社交場としてにぎわいました。設計は遠藤新。近代建築の三大巨匠の一人に数えられる米人建築家フランク・ロイド・ライトの愛弟子です。帝国ホテルの支配人を経て甲子園ホテル初代支配人となった、当時ホテル界の第一人者と言われていた林愛作の理想に基づいて計画されたものです。

空から舞い降り、正面玄関の回転ドアを通って館内に。そこはモノトーンの世界。90年前の華やかな世界をしばし覗いてみましょう。

90年を経ても美しさを保ち続けているその歴史的建造物は、現在、武庫川女子大学建築学部の学び舎として、建築を学ぶ女子学生のこの上もない教材となっています。

南庭園越しに見た甲子園ホテル(現・甲子園会館)

南庭園越しに見た甲子園ホテル(現・甲子園会館)

②「庭園散策 甲子園会館」(4分32秒)

甲子園会館の四季を通じて美しい日本庭園を散策気分でご案内します。
https://youtu.be/rTZuuX_Ujyg

竹林を抜け、園路を通って、南庭園を散策します。サクラやモミジといった折々の花々に彩られた庭園は華やかですが、花色が少ない夏や冬もその季節でしか味わえない詩情にあふれています。夜の帳が包むころの甲子園会館もお薦めです。この庭園には、とてもふさわしい茶室が設えられています。「自妙庵」です。自妙庵の躙り口(にじりぐち)をくぐって、室内に入ります。ここからゆっくりと庭園を眺めることができます。
甲子園会館の建物と一体となって景観の中に溶け込んでいる庭園の魅力をお楽しみください。

兵庫県阪神南県民センターでは、10月1日(金)、2日(土)、3日(日)、阪神地域(尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市、宝塚市、川西市、三田市、猪名川町)の美術館・博物館約35施設について、常設展を中心に期間中、無料開放する「阪神地域オープンミュージアム無料開放DAY」を開催します。甲子園会館は、コロナ禍により一般見学を休止している現況から、「オンラインミュージアム」としてこれに参加し、画像をYouTubeで配信するものです。

【オープンミュージアムについて】
オープンミュージアムは、阪神南県民センターにより「尼崎・西宮・芦屋オープンミュージアム無料開放DAY」として令和元年(2019年)10月5日(土)・6日(日)に初めて開催されました。尼崎市、西宮市、芦屋市の21の美術館・博物館を無料で体験できるというものです。甲子園会館では、従来から日時を決めて無料で見学会を催していましたが、皆さまに見ていただく機会が増える良いチャンスと思い、開放施設に加わりました。甲子園会館での無料開放DAYは10月5日(土)に実施し、81人が見学に訪れました。
令和2年(2020年)は、尼崎市、西宮市、芦屋市に加えて、阪神北地域である宝塚市・川西市・三田市・猪名川町までエリアを拡大し、10月2日(金)~4日(日)の3日間、「阪神地域オープンミュージアム無料開放DAY」として31施設で実施しました。甲子園会館は、コロナ禍により一般見学を休止している現況から、①「過去・現在・未来」(13分23秒)、②「建築の魅力」(16分08秒)、「春夏秋冬」(5分48秒)という3本の映像を作成し、「オンラインミュージアム」として無料開放DAYの3日間限定でYouTubeにより配信しました。

YouTubeでは次の映像も配信しています。
◎甲子園会館 桜2021
  https://youtu.be/qoN6Oej67vE
◎星に願いを@甲子園会館2021 七夕飾り付け作業風景
  https://youtu.be/S3-yevShpYQ

2021.09.28

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武庫川女子大学甲子園会館がテレビ東京系列「新美の巨人たち」に登場します
「新美の巨人たち」撮影風景
「新美の巨人たち」撮影風景

武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)が、9月18日(土)22:00~22:30に放送されるテレビ東京系列の「新美の巨人たち」で紹介されます。

この日のテーマは「フランク・ロイド・ライト「ヨドコウ迎賓館」兵庫」。

芦屋市にあるヨドコウ迎賓館(旧山邑太左衛門別邸)は、近代建築の三大巨匠の一人として有名なアメリカの建築家フランク・ロイド・ライト(1867~1959)がスケッチ(基本設計)し、高弟の遠藤新と南信が実施設計を行ったものです。国の重要文化財に指定され、世界遺産「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」の追加候補にも上がっています。ここには、訪れた者を魅了する様々な仕掛けが施されており、ライトと愛弟子・遠藤との子弟物語も興味深いものがあります。無類の建築好き女優・内田有紀さんがアートトラベラーとなって、ライト建築の秘密に迫っていきます。

武庫川女子大学甲子園会館の前身は、昭和5年に竣工・開業した甲子園ホテルです。設計は遠藤新、強度設計を南信が担当しています。竣工写真を送った遠藤に、ライトは返書の冒頭、「素晴らしい出来栄えです。」と賛辞を贈っています。

このように甲子園会館は、遠藤や南を介してヨドコウ迎賓館と深いつながりがあります。また、ライト式建築を代表する建物の一つと言われていることから、このたび取材があったものです。内田さんが、甲子園会館や遠藤についてどのように熱く語り、迫ってくれるか、どうぞ番組を楽しんでご覧ください。

■番組名  新美の巨人たち フランク・ロイド・ライト「ヨドコウ迎賓館」兵庫
■放送局  テレビ東京系列
■放送日時 9月18日(土)22:00~22:30

【再放送】
■放送局  BSテレ東
■放送日時 9月25日(土)24:00~24:30

甲子園会館の取材は、8月27日と28日の2日にわたって行われました。内田有紀さんが来られたのは27日でした。内田さんは、NHKの連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)「まんぷく」に出演されていました。「まんぷく」は、99作目の朝ドラで、平成30年(2018年)10月1日(月)から平成31年(2019年)3月30日(土)まで、151回にわたって放送されました。甲子園会館は、昭和10年代当時大阪で一番大きな「大阪東洋ホテル」という設定でロケ地となりました。第1週~第3週の18回の放送のうち、甲子園会館は13回にわたって画面に登場しています。ヒロイン今井福子(安藤サクラ)が、女学校卒業後電話交換手として初めて働く職場です。フロント係に抜擢され、立花萬平(長谷川博己)と運命的な出会いをし、やがてこのホテルで結婚式を挙げます。結婚式には、新郎新婦のほか、福子の母・鈴(松坂慶子)、次姉・香田克子(松下奈緒)、親友・鹿野敏子(松井玲奈)、萬平の友人・世良勝夫(桐谷健太)、歯科医の牧善之介(浜野謙太)などが出席しています。内田さんは、福子の長姉・咲という役柄でしたが、結婚式前に結核により家族に看取られながら息を引き取るというストーリーでした。というわけで、内田さんは、「まんぷく」では甲子園会館に来られていません。もし違ったシナリオであったなら甲子園会館に来られ、建築好きの内田さんは大いに喜ばれたことでしょう。

2021.09.15

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甲子園会館と高松宮 その5

高松宮は、昭和5年(1930年)4月23日、兄・昭和天皇の名代として14か月にわたる欧米諸国親善訪問の最初に、喜久子妃殿下とともに甲子園ホテルに宿泊されました。お二人は結婚から2か月を過ぎたところ、甲子園ホテルは竣工したばかりでした。高松宮は海軍中尉で満25歳。最後の征夷大将軍・徳川慶喜の孫である喜久子妃殿下は満18歳でした。

12年後の昭和17年(1942年)。海軍中佐で軍令部部員、37歳の高松宮は、9月27日と28日にも甲子園ホテルに宿泊されています。皇族の佐官として9日間の国内視察を行った途中に宿泊されたものです。名古屋で三菱航空機などを見た後、九州へ移動。昭和天皇の名代として、佐世保海軍工廠で挙行された軽巡洋艦「矢矧」の進水式に臨席。長崎県下の三菱造船所などを視察し神戸へ。9月27日に甲子園ホテルで宿泊し、翌28日、川西航空機鳴尾製作所、同社宝塚製作所、甲南製作所を訪れ、甲子園ホテルに戻って昼食。午後は、神戸の川崎重工業艦船工場、三菱造船、神戸製鋼所を視察して甲子園ホテルに戻り宿泊。翌日は大阪、和歌山を視察して夜行で東京へ戻るというハードな行程でした。

その約半年後の昭和18年(1943年)4月6日と7日にも2泊されています。海軍大佐で軍令部部員の高松宮は、38歳でした。愛知県や三重県の軍需工場などを視察して4月6日甲子園ホテルに到着。翌4月7日、神戸市の川崎重工業株式会社艦船工場へ。昭和天皇の名代として仮称艦名「第130号艦」(航空母艦「大鳳」)の進水式に臨席するためでした。川西機械製作所等を訪れた後、甲子園ホテルに帰着。翌4月8日は軍需工場などを視察して東京へ戻られています。

甲子園ホテルは、昭和19年(1944年)に海軍病院として収用。昭和20年(1945年)の終戦後に、アメリカ進駐軍の将校宿舎とクラブに使用されます。昭和32年(1957年)のアメリカ軍引き揚げ後は、国有財産として大蔵省の管理下に置かれます。昭和40年(1965年)11月15日に武庫川学院が譲り受け、改修。翌昭和41年(1966年)7月上旬に改修工事は竣工し、武庫川学院第三学舎甲子園会館としてホテル建築当初の姿を復元します。

そして、昭和55年(1980年)10月18日には、高松宮、同妃両殿下が甲子園会館に来られました。両殿下お揃いで甲子園会館(旧甲子園ホテル)に来られたのは、実に50年ぶりとなるのでしょう。そのときの様子を「武庫川学院五十年誌」(平成2年2月25日 武庫川学院発行)は次のように記しています。

高松宮、同妃両殿下もご来学
さきの三笠宮、同妃両殿下のご視察に続いて、昭和55年10月18日には高松宮、同妃両殿下が来学された。開創1,150年の甲山神呪寺奉讃会会長に公江学院長が推されて就任、予定以上に浄財が集まって見事な多宝塔が建立され、この落慶法要にご臨席されたのち、学院にお成りになったもの。公江記念講堂での歓迎式で、高松宮殿下は「創立以来42年の間、今日のこのようなすぐれた女子総合学園を築き上げられました公江学院長は、ずっと教壇に自ら立っておられたと承わっております。近来巷間いろいろと教育の荒廃について語られますが、ここでは、学校の伝統をふまえて、またそのうえ日本の歴史の伝統をよく心得られて、教師と生徒とともにその教え、学びに懸命に努めておられ、そうした憂いはないのだと信じます」とのお言葉を、一語一語諭すように述べられた。
このあと、記念庭園で「くすのき」の記念植樹、次いで中央体育館へ向かわれ、温水プールでの水泳、三階道場での剣道、少林寺拳法をご覧になった。このあと第二学舎グラウンドでは中三生徒400人がダンス「武庫川学院愛唱歌」を、中学高校校友会体育部400人がマスゲーム「躍動」をご覧に入れ、第三学舎では由緒あるライト式建築や、展示名画の数々をご覧になった。

※「さきの三笠宮、同妃両殿下のご視察に続いて」というのは、昭和53年(1978年)7月26日、武庫川女子大学体育館を主会場として開かれた第13回全国私立短期大学体育大会に三笠宮、同妃両殿下が来臨されたことをいいます。また、当時、現在の中央キャンパスを第一学舎、南甲子園キャンパスを第二学舎、上甲子園キャンパスを第三学舎と呼んでいました。

株式会社川崎造船所艦船工場の絵はがき
株式会社川崎造船所艦船工場の絵はがき
海軍の佐官であった高松宮はこの門を通って中へ入られたのであろう

⇒『甲子園会館と高松宮 補遺 その3』はこちら
⇒『甲子園会館と高松宮 その4』はこちら
⇒『甲子園会館と高松宮 その3』はこちら
⇒『甲子園会館と高松宮 補遺 その2』はこちら
⇒『甲子園会館と高松宮 補遺』はこちら
⇒『甲子園会館と高松宮 その2』はこちら
⇒『甲子園会館と高松宮 その1』はこちら

2021.09.02

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梅雨の甲子園会館2021
雨に煙る南庭園の池
雨に煙る南庭園の池
テラスへの東側階段付近
テラスへの東側階段付近。雨に濡れた日華石に同じく日華石の列柱が写っている

5月16日に近畿地方が梅雨入りしたと見られると気象庁が発表しました。これは平年より21日早く、昨年より25日も早いもので、同庁が昭和26年(1951年)に統計を開始して以来最も早い入梅となりました。
梅雨明けは平年より2日、昨年より15日早い7月17日となり、62日間の長い梅雨となってしまいました。統計開始以来最も長い梅雨の期間ということです。

タイサンボク(泰山木)の見事な花。
タイサンボク(泰山木)の見事な花
高木であり、写真が撮りやすい低いところにはあまり咲いてくれません
八重のクチナシ(梔子)
八重のクチナシ(梔子)
一重のクチナシ(梔子)
一重のクチナシ(梔子)

この長い梅雨の期間、甲子園会館の庭園では、植物の生育をはじめ自然の移ろいが心をときめかせてくれました。タイサンボク(泰山木)の白く大きな花はひと際目を引きました。 やはり白い花のクチナシ(梔子)は、一重咲きと八重咲きがあり、いずれもが目を楽しませてくれるとともに、辺り一面に甘い香りを漂わせていました。

ヒメシャラ(姫沙羅)
ヒメシャラ(姫沙羅)
アジサイ(紫陽花)
アジサイ(紫陽花)
アカンサス
アカンサス
葉型の美しさから装飾のモチーフとしてしばしば用いられてきました

甲子園会館の東側にある「東山」では、ヒメシャラ(姫沙羅)の小さくて可憐な白い花が静かに咲いていました。
東山ではギリシャの国花であるアカンサスも咲きました。アザミに似た象徴的な美しい葉型は、古代ギリシャ以来、建築物や内装などの装飾のモチーフとされてきました。
梅雨の季節にふさわしい花といえば、アジサイ(紫陽花)を挙げる人が多くおられることでしょう。そのアジサイも東山で咲いていました。

和風庭園によく似合うハナショウブ(花菖蒲)
和風庭園によく似合うハナショウブ(花菖蒲)
ハナショウブ(花菖蒲)で羽を休めるシオカラトンボ ショウジョウトンボ
ハナショウブ(花菖蒲)で羽を休めるシオカラトンボ ショウジョウトンボ
産卵中のキイトトンボ アオモンイトトンボ
産卵中のキイトトンボ アオモンイトトンボ

池の縁では、ハナショウブ(花菖蒲)が和風庭園の景観にしっとりと溶け込んでいました。
池には、ギンヤンマをはじめシオカラトンボやイトトンボなどが飛び交い、産卵をしていました。

青もみじ
青もみじ
イロハモミジの果実(翼果)
イロハモミジの果実(翼果)
コデマリ(小手毬)に産卵しようとしているホシミスジ
コデマリ(小手毬)に産卵しようとしているホシミスジ

庭園の木々は緑一色。イロハモミジも「青もみじ」状態となり、葉の間にはプロペラ型をしたピンク色の小さな果実(翼果)をつけています。果実が熟すと、プロペラは風を捉えて舞い上がり、降りたところで芽を出すことでしょう。
イロハモミジなどの梢上では、タテハチョウ科のホシミスジが軽快に滑空していました。
7月に入って、雨が降っていない朝夕にクマゼミが鳴き始めました。梅雨が明けていよいよ夏の到来。クマゼミの大合唱が聞かれることでしょう。

2021.07.19

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たくさんの願い事をWebでお送りいただきました -星に願いを@甲子園会館2021
星に願いを@甲子園会館2021
星に願いを@甲子園会館2021

武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)では、「星に願いを@甲子園会館2021」と題して、七夕の笹飾りに託す願い事をWebで募集していました。5月31日に募集を開始し7月5日に締め切ったところ、約150の願い事が寄せられました。お送りいただいた皆様の願いは、短冊に出力し、高さ5mを含む3本の笹に飾りました。願いを印字した短冊は、甲子園会館の立面図とホテル時代のシンボルであった「打出の小槌」をあしらったオリジナルです。Web以外にも手書きの短冊が70ほど届けられました。笹には短冊の他、甲子園会館の職員が手作りした200個を超える飾りも一緒に結び付けました。疾病よけの「アマビエ」や「打出の小槌」、甲子園会館の建物全体に施されている「水珠(みずたま)」をモチーフにした飾りも吊るし、新型コロナウイルス感染症の一日も早い収束と皆様の幸せを星に祈りました。飾り付けは、甲子園会館で働いている皆さんや建築学科1年生の力をお借りして行ったものです。

笹に飾り付けを行う建築学科1年生
笹に飾り付けを行う建築学科1年生

皆様から寄せられた願い事では、「みんながマスクを外して大声で笑いあえる日が来ますように」や「みんなを呼んで結婚式ができますように」といったコロナ禍との決別を願うものが多くありました。「80歳になっても楽しくゴルフが出来ますように」といった74歳のじいじさんや「毛髪よ、よみがえれ! 毛根よ、永遠なれ!」という甘辛しゃんからの願いも寄せられました。また、「オンラインばかりもう嫌です みんなと普通に過ごしたい」という、学生さんからでしょうか、切実な願望も送られてきました。

飾り付けを手伝ってくれた建築学科1年生
飾り付けを手伝ってくれた建築学科1年生

6月24日には、ケーブルテレビ・ベイコムが取材に訪れ、6月25日~7月1日の各日、番組「チームベイコム」の中で1日3回にわたって繰り返し放送されました。放送では、レポーターの前田るりさんが、「あかん! このままやったらタイガース優勝してまう。毎晩祝い酒でアル中になりそうや。勝率六割程度にとどめてくれるよう星に願います。」というトラ親爺さんからの願いや、前田さん自身が短冊に手書きした「愛犬の大きな寝言のボリュームが下がりますように」という可愛い願いも披露されました。「チームベイコム」に出演している原田昌子さんの「大好きな旅行に気兼ねなく行けますように」や井之上チャルさんからの「マスクを外した笑顔が見れますように」という短冊も紹介されました。

6月24日「チームベイコム」の取材がありました。レポーターは前田るりさん
6月24日「チームベイコム」の取材がありました。レポーターは前田るりさん

甲子園会館では、平成28年(2016年)から毎年7月に、「七夕の夕べ」として七夕にちなんだ特別見学会を夕方に開催してきました。甲子園会館を約90分間ガイドが案内し、西ホール(甲子園ホテル時代の大宴会場)で夕食を召し上がっていただいた後、大学筝曲部の琴の演奏をお楽しみいただく。そして、職員手作りのランタンが灯った幻想的な庭園を散歩しながら帰路についていただくという、とても人気のメニューでした。見学会の一環として笹を飾り、見学者に願い事を短冊に書いて笹に付けていただいていました。しかし、昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、見学会を開催できませんでした。そこで、「星に願いを@甲子園会館」として、七夕飾りの短冊への願い事だけをWebで募集しました。
今年はコロナ禍が収束し、「夏のチャリティー特別見学会」を再開できるものと職員一同期待していましたが、残念ながら断念せざるを得ない状況でした。
そこで、昨年に続いて「星に願いを@甲子園会館2021」を実施したもので、来年こそは見学会を開催できるよう星に祈りました。

なお、飾り付け作業をYouTubeで配信しています。

YouTubeはこちら⇒https://youtu.be/S3-yevShpYQ

2021.07.07

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ケーブルテレビ・ベイコムで「星に願いを@甲子園会館2021」が放映されています

ベイ・コミュニケーションズが運営するケーブルテレビ「ベイコム11ch」の番組「チームベイコム」の中で、「星に願いを@甲子園会館2021」のレポートが放映されています。

ベイコムの取材
ベイコムの取材が6月24日にありました。
レポーターの前田るりさんが、短冊に自筆した「愛犬の大きな寝言のボリュームが下がりますように」という願い事を披露しました。

甲子園会館での七夕の笹飾りは、「夏のチャリティ特別見学会」とあわせて実施していた恒例行事ですが、コロナ禍で昨年は見学会が実施できませんでした。そこで「星に願いを@甲子園会館」と題して、願い事をWebで募集。寄せられた願いを甲子園会館職員が短冊に出力し、職員手作りのアマビエなどの飾りとともに笹に付けました。そして、皆様の願いが実現するとともに、新型コロナウイルス感染症が一日も早く収束するよう星に願いました。

しかし、コロナ禍は今年も収束せず、昨年に続き「星に願いを@甲子園会館」を開催することになりました。
笹には、アマビエのほかに、甲子園会館の前身である甲子園ホテルのシンボルであった「打出の小槌」や甲子園会館の建物全体に施されている「水珠」をモチーフにした飾りも一緒に吊るします。 「打出の小槌」は富をもたらす象徴です。甲子園ホテルの設計者・遠藤新は、「打出の小槌」を振ることによって出てくる富や幸せが「水珠」となって建物全体を包み込む、というイメージをおそらく抱いていたのではないでしょうか。

「星に願いを@甲子園会館2021」では、5月31日に甲子園会館ホームページで願い事の募集を始めました。ベイコムの取材は6月24日。これまでに寄せられている願い事を2本の笹に飾り、前田るりさんがレポートしました。100以上の短冊の中から、「あかん! このままやったらタイガース優勝してまう。……」というトラ親爺さんからの願い事を紹介。前田さん自身が短冊に手書きした「愛犬の大きな寝言のボリュームが下がりますように」という可愛い願いも披露されました。「チームベイコム」に出演している原田昌子さんの「大好きな旅行に気兼ねなく行けますように」や井之上チャルさんからの「マスクを外した笑顔が見れますように」という願いの紹介などもあり、無事に撮影を終了しました。

放送日時とチャンネルは次の通りです。

【放送日時】 6月25日(金)~7月1日(木)

       各日6:00~/12:00~/23:00~

【番組名】 「チームベイコム」

【放送チャンネル】Baycom11ch

願い事の応募は次の通りです。

■応募フォーム:https://forms.gle/nFCDUf1DANa9gaFcA

■申込み締切り:7月5日(月)

■ホームページ公開:7月7日(水)

暑い季節、切った笹の葉は2~3日経つと枯れてしまいます。そこで、7月5日の応募締め切り後に再度新鮮な笹を切り、短冊や飾りを結び付け、7月7日(水)にこのホームページで公開します。どうぞ、ご期待ください。

2021.06.25

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七夕の短冊に記すあなたの願いを甲子園会館へお寄せください
今年も実施します 「星に願いを@甲子園会館2021」
昨年の「星に願いを@甲子園会館」の笹飾り
昨年の「星に願いを@甲子園会館」の笹飾り

あなたの願いを下記の応募フォームから甲子園会館へお送りください。甲子園会館職員が短冊に出力し、あなたの代わりに笹に飾り付けます。

笹には「アマビエ」のほか、「打出の小槌」や「水珠」をモチーフにした飾り等も一緒に吊るします。「打出の小槌」は、甲子園会館の前身である甲子園ホテルのシンボルであり、建物の各所でその意匠を目にすることができます。「水珠」文様は、甲子園会館の建物全体に施されています。「打出の小槌」は冨をもたらす象徴であり、「打出の小槌」から振り出された富や幸せが「水珠」となって甲子園会館全体を覆い包む、というイメージを甲子園ホテルの設計者である遠藤新はおそらく抱いていたのでしょう。

あなたの願い事を記した短冊を笹に飾ることにより、コロナ禍の憂鬱な気分を吹き飛ばし、幸せを星に祈ろうではありませんか。短冊の上端には「打出の小槌」、下端には甲子園会館の北立面をデザインしています。

飾り付けた映像はホームページで報告しますので、楽しみにお待ちください。

■応募フォーム:https://forms.gle/nFCDUf1DANa9gaFcA

■申込み締切り:7月5日(月)

■ホームページ公開:7月7日(水)

短冊は「打出の小槌」と甲子園会館の北立面をデザインした特製品です
短冊は「打出の小槌」と甲子園会館の北立面をデザインした特製品です
飾りの一例です。「アマビエ」のほか、「打出の小槌」や「水珠」をモチーフにした飾りも用意します。
飾りの一例です。「アマビエ」のほか、「打出の小槌」や「水珠」をモチーフにした飾りも用意します。
甲子園会館の頂にはそれぞれの棟飾り 甲子園会館の頂にはそれぞれの棟飾り
甲子園会館の10ヶ所の屋根の頂にはそれぞれ棟飾りが置かれ、一つの棟飾りには「お宝尽くし」模様の8つの「打出の小槌」が取り付けられています。「打出の小槌」から振り出された富や幸せが「水珠」となって屋根を滑り落ち、建物全体を包み込むというイメージなのでしょう

2021.05.31

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甲子園会館の春2021 その6
ヤマボウシ(山法師)
ヤマボウシ(山法師)
4枚の大型で白色の花弁のように見えるのは総苞片。真ん中に小さく集合しているのが花(花序)です
コデマリ(小手毬)
コデマリ(小手毬)
小さな手毬のように見えることが名前の由来となっています

サクラやハナミズキ、ツツジといった春をまさに体現するような花たちは姿を消しました。しかし、その後も甲子園会館の庭園では、次々と各種の花々がその存在をアピールしています。エゴノキ、コデマリ(小手毬)、トベラ(扉)、シャリンバイ(車輪梅)、ヤマボウシ(山法師)、ガマズミ、センダン(栴檀)、ウツギ(空木)、などなどです。

トベラ
トベラ
臭気を発することからヒイラギの代わりに厄除けに使われます。大晦日や節分に、イワシの頭などを枝に刺して魔除けとして家の扉に挟んだという伝統行事から、トビラの木→トベラと名付けられたと言われています
エゴノキ
エゴノキ
果実を食べると苦味が強く、喉を刺激してえぐい(えごい)ことからその名が付けられたと言われています
センダン(栴檀)
センダン(栴檀)
高い梢上に紫色の小さな花が咲いています。センダンの古名の一つ、「あふち」は「淡い藤」から。「栴檀は双葉より芳し」という故事がありますが、センダンの枝葉に香りはありません。故事にある栴檀は中国名であり、日本で言うビャクダン(白檀)のことです
シャリンバイ(車輪梅) ガマズミ
シャリンバイ(車輪梅) ガマズミ

花だけではありません。冬にすっかり葉を落としていた落葉樹もほぼ一斉に芽吹き、日ごとに成長を遂げて、今では新緑に萌えたっています。イロハモミジも「青もみじ」状態となり、葉の間にはピンク色の小さな「翼果」(実)が見えます。この季節、ウメやサクラ、ヒイラギナンテンなど多くの植物でも実をつけています。

イロハモミジの翼果(実)
イロハモミジの翼果(実)
ダイオウショウ(大王松)
ダイオウショウ(大王松)が新芽を伸ばしています
ヒイラギナンテン
ヒイラギナンテンが実をつけています
ウメの青い実 サクラの実
ウメの青い実 サクラの実

⇒『甲子園会館の春2021 その5 春は駆け足で』はこちら
⇒『甲子園会館の春2021 その4 サクラが満開です』はこちら
⇒『甲子園会館の春2021 その3』はこちら
⇒『甲子園会館の春2021 その2』はこちら
⇒『甲子園会館の春2021 その1』はこちら

2021.05.21

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甲子園会館を取り上げた本が出版されます
幻想と異世界への扉 産業遺産

著者=黒沢永紀・前畑洋平
昭文社 2021年5月15日発行
定価1,760円(本体1,600円+税10%)

この本では、平成19年(2007年)に経済産業省が選定した「近代化産業遺産群33」を基準に、幕末から第二次世界大戦前までの日本の近代化に大きな役割を果たした産業遺産の中から、一般の見学が可能な162件について写真を中心にまとめられています。01赤煉瓦、02港湾開発、03観光、04食品加工、05造船、06製鉄・製鋼、07炭鉱・油田、08大鉱山、09鉱山、10水力発電の10に分類して編集されています。甲子園ホテル(現・武庫川女子大学甲子園会館)は、03観光に分類されており、他にはホテルニューグランド、奈良ホテル、奈良駅舎、六甲ケーブル山上駅、帝国ホテル、小浜鉄道が取り上げられています。

甲子園ホテルは4ページにわたって紹介されており、5枚の写真が掲載されています。南側から見た外観、塔屋、大食堂(現・建築学科1年生の学びの場であるスタジオ1)上部壁面の装飾、レセプションルーム(現・ラウンジ)のシャンデリア、バー(現・談話室兼アートショップ)の床面に張られたタイルの5枚です。

2021.05.11

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甲子園会館の春2021 その5 春は駆け足で
ソメイヨシノより少し遅れてシダレザクラが咲きました
ソメイヨシノより少し遅れてシダレザクラが咲きました
ハナミズキの白い花が青空に映えていました
ハナミズキの白い花が青空に映えていました

3月の気温が高かったからでしょう、サクラの開花は全国的に平年より1週間ほど早かったようです。甲子園会館のサクラも、種類や場所によって違いはありますが、3月19日頃に開花し、4月1日頃には満開を迎えていました。そして、せかされたように舞い散っていきました。

サクラより若干時期をずらして、シダレザクラやハナミズキの花も妍を競っていました。

レンギョウ カリン
レンギョウ カリン
シモクレン ハナズオウ
シモクレン ハナズオウ

サクラやハナミズキだけではありません。甲子園会館の庭園ではレンギョウ(連翹)の黄色い花、サクラに似たカリン(花梨)の可愛い花、シモクレン(紫木蓮)、ハナズオウ(花蘇芳)などが咲き誇っていました。

シャガ
シャガ
ハナニラ 後ろの建物が景観建築スタジオ東館 フッキソウ
ハナニラ 後ろの建物が景観建築スタジオ東館 フッキソウ

甲子園会館の東側に「東山」と呼んでいるこんもりとした森があります。武庫川の支流であった枝川の堤防の名残りです。この東山の北側に「景観建築スタジオ東館」が昨年12月15日に竣工しました。昨年4月に開設した建築学部景観建築学科と大学院建築学研究科景観建築学専攻の新校舎です。この東館には、並んで建っている甲子園会館(旧甲子園ホテル)の意匠を随所に取り入れています。外壁や内装にボーダータイルや装飾タイルを用いて統一感を出し、打出の小槌やしずくのモチーフを効果的に使用しています。また、取り外されていたホテル時代の庇の一部を玄関の内庇に再利用。甲子園ホテルで使用していた照明の実物やレプリカを取り入れています。装飾タイルは学びの一環として学生が1年がかりで約7千枚を制作したものです。そして、東山は景観建築学科の演習の場となるよう、既存の樹木の剪定や新たな樹木の植栽などの整備を行いました。この東山には、シャガ(射干)やハナニラ(花韮)、フッキソウ(富貴草)が咲いていました。

ツツジとクスノキなどの若葉の対比が鮮やかです
ツツジとクスノキなどの若葉の対比が鮮やかです
新緑に覆われた南庭園
新緑に覆われた南庭園

やがて、庭園各所は赤やピンクや白のツツジ(躑躅)の花で賑やかになり、待ちかねたようにアゲハ蝶(ナミアゲハ)やモンシロチョウ、ミツバチやクマバチが早速蜜を吸いに訪れていました。
冬の間に葉を落とし、見通しがよくなっていた落葉樹も、若葉が芽を出し目が覚めるような新緑に覆われました。ウメの木は青い実をつけています。
4月も後半になると、池に2羽のカルガモがやってきました。連れ添って泳ぎまわる姿は微笑ましいものがあります。

南庭園の池にやってきたカルガモ
南庭園の池にやってきたカルガモ

⇒『甲子園会館の春2021 その4 サクラが満開です』はこちら
⇒『甲子園会館の春2021 その3』はこちら
⇒『甲子園会館の春2021 その2』はこちら
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2021.04.23

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「甲子園会館 桜2021」動画をYouTubeで配信します

桜の季節は終わりましたが、今年も甲子園会館の桜は美しい花を咲かせました。
皆さまにご見学いただくことはできませんでしたが、動画でお楽しみください。

2021.04.16

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甲子園会館と高松宮 補遺 その3
戦前の川崎造船所の絵はがき 戦前の川崎造船所の絵はがき
戦前の川崎造船所の絵はがき
株式会社川崎造船所は、昭和14年(1939年)12月1日に川崎重工業株式会社に商号を変更しています。ここで航空母艦「大鳳」が建造されました。
高松宮は昭和18年(1943年)4月7日の進水式に昭和天皇の名代として臨席、その前後に甲子園ホテルに宿泊しています。昭和19年(1944年)1月20日にも「大鳳」の見学に川崎重工業に来られています。

高松宮宜仁親王は、昭和5年(1930年)4月23日、結婚して間もない喜久子妃殿下とともに竣工直後の甲子園ホテルに宿泊されました。兄・昭和天皇の名代として14か月にわたる欧米諸国親善訪問の最初に宿泊されたものです。

高松宮は、12年後の昭和17年(1942年)9月27日と28日にも宿泊されています。

その約半年後の昭和18年(1943年)4月6日と7日にも2泊されました。当時、高松宮は軍令部部員で海軍大佐でした。昭和天皇の名代として、4月7日(水)08:30に神戸の川崎重工業株式会社で挙行された仮称艦名「第130号艦」(航空母艦「大鳳」)の進水式に臨席するためでした。高松宮が「大鳳」に関心を示されていることは「高松宮日記 第七巻」(1997年7月 中央公論社)でもうかがえます。この第七巻は昭和18年(1943年)10月~昭和19年(1944年)12月の出来事を記したものです。

高松宮は、昭和19年(1944年)1月18日午後に品川を出発。翌19日08:05、呉駅着。水交社で朝食を済ませ、09:15~11:15呉海軍工廠へ。同工廠で行われた航空母艦「葛城」の進水式に、昭和天皇の名代として11:30~11:55臨席。昼食は、呉鎮守府司令長官・野村直邦中将による招宴。食後、呉鎮守府軍医長・福井信立軍医中将に話を聞いておられます。14:50~17:20防空壕、灰峯砲台を視察。19:15~21:20、海軍工廠に戻り夜業状況を視察。一式12㎝弾、対潜弾、電探妨碍弾、照明弾、コンクリート船、駆逐艦(輸送)木型、呂号第500潜水艦(元ドイツ海軍U-511)、多孔性エボナイトを見て回っておられます。23:50呉駅発。

翌20日の日記には次のように記されています。

一月二十日(木)晴

神戸。〇六〇四神戸着。神戸武官室(香港上海銀行)、朝食、説明キク。〇九〇〇~一一一〇川崎重工業ニテ「大鳳」ヲ見ル。一一二〇~一三一〇、三菱重工業ニテ海防艦建造状況ヲ見、昼食。一四〇〇~一五四五、日本油脂尼崎工場。一六二〇大阪水交社、夕食長官招待。一九〇〇大阪発。
[予定約束]〇六〇四神戸着。一九〇〇大阪発。

こういう慌ただしい行程だったので、甲子園ホテルでの宿泊・立ち寄りはされていません。
翌21日06:52品川に着かれ、入浴朝食の後09:00軍令部へ。09:45に御所へ上がられ復命(侍従申置)をされています。

2月15日には、朝に木戸幸一内大臣等の話を聞かれた後、10:00に軍令部へ。午前は戦備考査会議に出席。午後、高木惣吉海軍少将と海軍大臣・総長の進退の件について来談。その後、吉岡保貞川崎重工業専務取締役(海軍予備役中将)と航空母艦「大鳳」の完成を3月10日に繰り上げる話をされています。

「大鳳」は、艤装予定を約3か月短縮し3月7日に竣工。同日付で舞鶴鎮守府所属となっています。3月10日に第一航空戦隊に編入。同じ第一航空戦隊の航空母艦「翔鶴」「瑞鶴」などとともに、6月18日以降マリアナ沖海戦に参加します。そして6月19日、アメリカの潜水艦アルバコア(USS ALBACORE SS-218)が発射した魚雷により大爆発を起こして沈没しました。

6月19日の高松宮日記には、「大鳳」について次のように記されています。

「大鳳」〇八〇三、敵潜水艦ノ雷撃ヲウケ、「ヤップ」ノ北250′ニテ一四三〇沈。

⇒『甲子園会館と高松宮 その4』はこちら
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⇒『甲子園会館と高松宮 補遺 その2』はこちら
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2021.04.13

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「ビール王」「ホテル王」と呼ばれた山本爲三郎
「夢のホテルのつくりかた」より。撮影:稲葉なおと
「夢のホテルのつくりかた」より。撮影:稲葉なおと

昨年12月22日に刊行された「夢のホテルのつくりかた」(稲葉なおと氏著・写真撮影)については、発行にあわせてこのHPで紹介しました(記事はこちら)。

本書では、38軒のホテルについて、事業主と設計者の絡みや熱い思いが興味深く語られ、一気に読ませてしまう内容となっています。

また、紙面を飾っている見事な写真は、著者自身が撮影したものであり、著者の並々ならぬ努力の賜物と言えるものです。なかでも、各ホテル記事の冒頭の見開き2頁には、各ホテルの特色を表す魅力的な写真が掲載されています。甲子園ホテル(現・武庫川女子大学甲子園会館)では、バンケットホール(現・西ホール)が選ばれました。

稲葉氏は、「月刊ダンスビュウ」(モダン出版)に「名建築で踊ろう!」を連載されています。第8回として、2021年4月号に甲子園会館が取り上げられました。稲葉氏は「舞踏会場として撮影したいホールは? と訊かれたら、私は迷わず、西の帝国ホテルですと答えるだろう。」という文章で第8回を締め括っています。

ところで、「夢のホテルのつくりかた」の中に、気にかかる記述が1か所ありました。「大阪の繁栄を願う「ホテル王」は細部にまで指示を出し続けた」と題するコラムです。「ホテル王」とは、「ビール王」とも呼ばれていた朝日麦酒株式会社(現・アサヒビール株式会社)の初代社長・山本爲三郎のことです。爲三郎は、朝日麦酒株式会社の社長となった昭和24年(1949年)に新大阪ホテルの会長兼社長にも就任しています。その後、東京新大阪ホテルや新広島ホテルの社長、帝国ホテルの取締役など20数軒のホテルの要職を兼務することになります。このコラムでは、新大阪ホテルを継承した大阪ロイヤルホテル(現・リーガロイヤルホテル大阪)について、設立に心血を注いだ爲三郎の豊富な逸話が語られています。

気にかかる記述というのは、「為三郎は3年後には甲子園ホテル(82頁)の社長にも就任。」という点です。朝日麦酒株式会社の社長に就任、あるいは新大阪ホテルの会長兼社長に就任した3年後、すなわち昭和27年(1952年)に甲子園ホテルの社長となったという点です。

甲子園会館にある資料では、株式会社甲子園ホテルは、昭和5年(1930年)2月12日に設立し、株主総会の決議により昭和19年(1944年)6月28日に解散とあります。

そこで、著者の稲葉氏にエビデンスについてお尋ねしたところ、直ちに「山本爲三郎翁傳」からと明解にお返事をいただきました。「山本爲三郎翁傳」というのは、山本爲三郎翁傳編纂委員会が編纂し、昭和45年(1970年)4月24日に朝日麦酒株式会社により発行されたものです。同書に、爲三郎が生前関係されていた諸会社・諸団体名が羅列されていますが、そこには甲子園ホテルの名前は見当たりません。しかし、「山本為三郎翁年譜」の表を見ると、確かに昭和27年2月28日、「㈱甲子園ホテル取締役社長に就任。」と明記されていました。

甲子園会館にある資料と「山本爲三郎翁傳」との整合性は確認できていません。しかし、山本爲三郎翁が甲子園ホテルの取締役社長に就任していたとすれば、甲子園ホテルに刻まれた最後のビッグネームとなるでしょう。

2021.04.06

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甲子園会館の春2021 その4 サクラが満開です
建築スタジオ屋上より甲子園会館を望む 4月1日
建築スタジオ屋上より甲子園会館を望む 4月1日
西ホール南西部を背景に 4月1日
西ホール南西部を背景に 4月1日

甲子園会館のいたる所でサクラが満開となりました。
今回は、サクラの映像を中心にお届けします。

サクラの花に一匹の蝶が止まっていました。「緋縅」(緋色の鎧)からその名をつけられ、花にはほとんど集まらないといわれるヒオドシチョウです。蜜を吸っていたのでしょうか。それとも、その名にふさわしく、戦国時代の武将のように風流を楽しんでいたのでしょうか。羽が少し傷んでいます。成虫で冬を越したのでしょう。

例年ソメイヨシノに遅れて花をつけるシダレザクラも咲き始めました。

南庭園より甲子園会館西ウィングを望む 4月1日
南庭園より甲子園会館西ウィングを望む 4月1日
南庭園より甲子園会館を望む 4月1日
南庭園より甲子園会館を望む 4月1日
南庭園池越しに見た甲子園会館 4月1日
南庭園池越しに見た甲子園会館 4月1日
西ホールから南庭園を眺める 4月1日
西ホールから南庭園を眺める 4月1日
サクラの花に羽を休めるヒオドシチョウ 3月26日
サクラの花に羽を休めるヒオドシチョウ 3月26日
咲き始めた南庭園のシダレザクラ 4月1日
咲き始めた南庭園のシダレザクラ 4月1日
甲子園会館北側では、ベニバナトキワマンサク(紅花常磐満作)、ユキヤナギ(雪柳)、サクラが重なって咲いています 3月26日
甲子園会館北側では、ベニバナトキワマンサク(紅花常磐満作)、ユキヤナギ(雪柳)、
サクラが重なって咲いています 3月26日
西ウィングを北側より望む 4月1日
西ウィングを北側より望む 4月1日
北側より見た甲子園会館 4月1日
北側より見た甲子園会館 4月1日

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2021.04.02

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喫茶付見学のご案内
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~甲子園ホテル想い出の味はいかがですか~

ホテル時代の想い出の味を皆様にと、当時のケーキを見学後に召し上がっていただく、喫茶付見学会を行っています。
シンプルで上品な味はどこか懐かしいと、とても評判です。たくさんの緑に囲まれ、いつもとはひとあじ違うティータイムをお過ごしください。
● 毎月1回の実施を予定しています。見学カレンダーでご確認ください。
● 約90分間の館内見学後、食堂にて喫茶していただきます。
● 個人、団体どちらも申込可能です。
● 飲み物とケーキ代として800円を頂戴します。

 

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鳴松会会員の皆様へ(同窓会利用のお知らせ)

甲子園会館では、鳴松会会員同窓会のご利用の場合に限り、施設使用料は無料です。
会館での同窓会をご希望の方は、鳴松会館までご連絡ください。詳しいご説明をさせていただきます。
当館利用に際しましては、駐車場は準備しておりませんので、交通機関は必ず、公共の交通機関のご利用をお願いします。
なお、冷暖房費については、別途頂戴いたします。

■鳴松会館 TEL.(0798)45-3538(直通)

 

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甲子園会館情報収集について

甲子園会館では、当館に関する情報を集めています。ホテル当時やその他会館に関する写真や資料をお持ちの方、また、お話を聞かせていただける方がいらっしゃいましたら、甲子園会館庶務課 TEL.(0798)67-0079(直通)までご連絡ください。

 

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過去の記事は下記のプルダウンより、年度別でご紹介しております。